Production著作/論文
コラム「がんについて」コラム「がんについて」の連載。
がんの痛み1
人々が、なぜがんを忌み嫌うのか。その理由のひとつには「想像のつかない痛み」に対する恐怖のためであろう。
人には寿命というものがあり、いつかは死ななければならない。この世に生まれた瞬間から死に向かって歩んでいることになり、その意味では死ぬために生きているといっても過言ではない。
現在では、がんになったことは即「死」ではない。それなのに、多くの人は変わらずがんを恐れ、それはたとえば糖尿病や脳血管疾患など他の生活習慣病の比ではない。
不思議なことに、がんの痛みについては熱心に研究されてこなかった。それは、がんの研究の主な目的はがん細胞を殺すための治療にあり、死や痛みについてあからさまに口にすることは、なにやらがんに負けてしまう気がしたのかもしれない。
あるいは、痛みというのは本人にしかわからないものだから、「痛いんです」と訴えたところで真剣に受けとめられなかったのかもしれない。
とりわけ日本は、痛みの研究が遅れた。それは、痛みを抑えるために使われる代表的な薬剤「モルヒネ」の扱い方が下手だったからだといわれる。
がんを本人に告知する習慣を持たなかったために、「モルヒネを使います」と言うのがイコールがんの告知と同様に受け取られた時代が長く続き、モルヒネに対するイメージを悪くしてしまったのだ。
告知をしないことが結果的にその後の治療や痛みのケアのあり方をゆがめてしまったことにつながり、患者や家族の不安をかえって煽ってしまうケースは多くあった。
いずれにしろ、痛みに対するノウハウの発展がなかったことは、患者不在の医療が長く存在していたことの表れであると、謙虚に受け止めなければならないだろう。
現在では、痛みに対して少しでもそれを和らげようとする試みや研究、またはそれを専門とする医師が目に留まるようになった。
死の受容とともに、この種の取り組みは広義の意味で「緩和療法」と呼ばれ、従来の治療とほぼ同様の位置づけで捉える動きは除々に活発になってきたようである。
最近の医学の進歩は?としばしば問われることがある。残念ながら皆の期待以上のものはほとんどない。
しかし、あえて言えば、告知が増えたこと、インフォームドコンセントやセカンドオピニオンなどといった言葉が盛んにうたわれ、患者の意思を尊重しようとするようになったこと、そして痛みに対する療法に関心が高まったこと、などの点では多少の進歩があった。
もちろん言葉だけが独り歩きし、現実にはまだまだ患者は「弱者」であることに変わりないにしろ、「患者尊重」と口に出してもおかしくない時代にさしかかったことは、大きな変化ではあるのだろう。
医学とは、医療とはいったい誰のためのものなのだろう。
この問いに対し、遅すぎるとはいえ原点に戻って深く考えねばならない時期をようやく迎えることができそうである。