医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

2005年2月11日~2月13日掲載
既存の資格制度への疑問

 程度の差はあれ、資格を取るというのは仕事をする上で重要なことだ。なかには資格の取得自体が目的化し、とにかく取れるものはどんどん取るといったスタンスの人も見かける。資格といっても、現在は国家資格から各種団体が認定するものまで多種多様で、近頃は、医学会でも各学会による認定資格が多く出現し、その分野の細分化が進んでいる。資格というのは、それがないと仕事ができないといったものとその道に詳しいことを意味する場合とに大別される。本来はこのふたつが揃っているからこその資格制度であったのが、今ではその意義が薄れ、混乱気味である。医師や弁護士など資格がなければ業務に就けないという業務独占型資格であっても、インターネットをはじめとした情報の過剰アクセス時代にあって、では彼らが本当に必要な知識に長けているかといえばこれすら心もとないところまできている。

 例えば、乳がんにかかった人は、その治療法や後遺症にいたるまであらゆる情報を得ようとする。今や海外情報や専門性の高い学会情報まで簡単に入手することができるため、そこらの医師よりよほど幅広い知識を持っている患者がざらにいる。混合診療が認められていない日本の治療の限界を感じ、少々高額でも乳房切除術と再建術が同時にできるアメリカで治療を受けた女性たちもいる。患者は皆「ひとごとではない」気概に満ち、その意気込みは半端ではなく、情報処理能力と決定力においては医師といえども太刀打ちできない場面も出てきている。現在の話題のひとつであるサプリメントに関していえば、客は誰もが自分にあったサプリを期待すると思うが、ではだれがそれを示唆してくれるのかと問われると、答えに困る。医師も薬剤師も栄養士も国家資格であるが、サプリメントに関しては学校で学習しない。俗にいう「オタク」が周囲に喜ばれるのはその専門性が真に役立つときなのだろうが、まさに「サプリメントオタク」は今や貴重な存在である。サプリメントに関していえば、各団体が従来の専門家を対象に研修制度を設け、修了者には「サプリメントアドバイザリー」や「サプリメント管理士」「栄養情報担当者」などの名称を与えている動きが目立つが、こういう類のほとんどは主催者側の既得権益に基づくもので、果たして社会の現実に即した内容かどうかは甚だ疑問である。

 先週には、高齢者の寝たきり防止のための筋力トレーニングができる指導員制度を東京都独自で設けるといったニュースがあった。候補となる指導者は理学療法士やホームヘルパー、看護師などで、研修後に試験を行い認定されるのだそうだ。さて、このような一連の動きは次の2点を象徴している。ひとつは、現在の国家資格の形骸化である。資格が実践的知識と一致していないために、次から次へと新手の資格を創生する必要に駆られている。学校ではいったい何を教えているのか、専門性を高めるとはどういうことなのかといった疑問が沸き起こる。ふたつめは、認定する側の特権意識の氾濫である。認定する立場に立つことで、その分野のパイオニアとして君臨したい意図ばかりが目立ち、それが社会の混乱を招いている。いわば各団体の私利私欲が跋扈することで、かえって「資格」の存在意義は希薄化していく現状を生み出しているのだ。みっつめは、法を含めた現代社会制度全般の空疎化だ。話は資格制度にとどまらない。続出するカード犯罪についていえば、すべてを取り締まる法律がなく、情報は盗難の対象にならないため、盗まれたカード(情報)でお金を引き出されてもその点は犯罪にならないのだという。これも実態から浮かび上がるニーズと現状が明らかにミスマッチングである社会問題を提示している。本来、資格取得はスタート時点であり、そこからが本当の勉強である。それすら気づいていない「専門家」が多いのも情けない。「資格」と「学歴」とを置き換えても話は同じ。携えた武器が一見立派であっても、見かけだおしでは戦には勝てない現実に、資格を付与する側も取得する側も早く気づくべきだと思う。

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