医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

2005年3月8日~3月30日掲載
目標を決めるということ

 年のはじめになると、どこかで必ず「今年の目標は?」と聞かれることが多い。人に言われるまでもなく季節の変わり目などには自分で目標を立て、とりあえず気持ちを奮起させる人も多いことだろう。目標は自分で立てるもの―、自然とそう思っていたところに、近頃違和感のある「目標」を目にすることが多く、いささか気味悪く感じている。「高血圧学会が高齢者の降圧目標値引き下げ」「国民の運動不足に危機感、健康日本21の目標値見直し」「厚労省、病気・役割別に地域目標」などなどである。勝手に決めた目標を押し付け、第三者の尻をたたいて目標達成を目指すことが当たり前のようになっているのだろうか。少なくとも健康問題についてこういった動きが評価され始めたのは2000年4月の「健康日本21」あたりからだと思う。健康日本21は、「食事」「運動」「睡眠」などいくつかの項目について数値目標を設定し、健康づくり運動として厚労省が各自治体に義務づけたものである。当初からこの愚策に対する批判をことあるごとに口にしてきたが、科学的根拠とやらを金字塔のごとく掲げた、いかにも厚労省のご都合主義丸出しの施策であり、こんなことに税金が使われているかと思うと腹立たしくて仕方がない。通常我々が目標を立てるときには、そこに多少なりとも問題意識が存在している。禁煙、節酒、夜更かし、運動不足など自分や自分の健康にとってマイナスの状態を克服しようというものから、パソコンやTOEICなど積極的に能力を高めよう、つまりプラスの状態を作ろうというものまで目標の内容には色々ある。毎年「禁煙」を目標にあげては失敗する人の人間臭さや愛すべきこっけいさ、それらもひっくるめて目標を立てる楽しさがあるのだと思う。いずれも目標を達成しようというからにはかなりの気概が必要だが、成否の有無は本人次第、つまり本人がどれだけ本気に取り組むかどうかにかかっている。目標が達成できたときの喜びの大きさもひとしおだろうが、達成できなかったときにさて次どうするかも、これまた本人が考えることである。年齢・好み・男女差・価値観・体質などをことごとく無視され、上から押し付けられた目標など達成できた試しがない。そんなことは誰もが子ども時代に学んでいるはずなのに、これでもかこれでもかと目標を押し付けるのは、思うに厚労省や医学会がみずからの役割そのものを真正面から問われたとき、その社会的存在意義が希薄になるのを恐れているからかもしれない。

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