医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

7月8日~8月28日掲載
薬学部6年制は妥当な方向か?

 以前からたびたび話題になっていたことだが、いよいよ大学薬学部の修業年限が現行の4年制から6年制に延長される見通しだという。その理由として、「薬剤師には今後医療の担い手としての役割が求められる」「医薬分業になって処方箋チェックの際ミスが見抜けないなどその能力不足が指摘されている」「病院や薬局などでの実務研修が義務付けられていない」などなどがあがっている。医薬分業率が上昇したという数字に、薬剤師団体が「薬剤師の職務が国民に認められた」と喜んだ声に対し、決して国民は医薬分業も薬剤師の必要性も認めたわけではない、との主張をこの欄で述べたことがある。その際に、薬剤師に求められていながらもっとも欠落しているのは「コミュニケーション能力」だと指摘した。この点は多くの方から賛同いただいた。

 6年制にすれば、果たしてコミュニケーションができるようになるのだろうか?昔、大学病院で看護師をしていたことがある。不思議に病院内の有資格者というのは皆やたらいばっている。いばるヤツにはふたとおりあって、患者には一見親切だが女性が多く使いやすい看護師にはいばるというのがひとつ、患者にも看護師にもいばるというのがふたつめである。どちらにも親切というのはほんの一握りしかいなかった。独断と偏見といわれようがあえて言わせてもらえば、患者にも看護師に対してもいばるのが多かったのは検査部と薬剤部だった。検査でもレントゲン技師はどちらにもやさしかった。が、病院の奥のほうで血液や尿などの検体検査をしていたり、調剤室で薬の調合だけしているような人はなんだかいつも不機嫌で偉そうに物を言う人が多かったものだ。それは、彼らが患者と向き合わないためだと思った。レントゲン技師たちは日常患者の衣服の着脱を手伝ったり、声をかけたりしているためか、患者や家族の身になって物事を考えることができた。しかし、病院で働きながらも患者と接しない人々は、緊急の検査や調剤に対しも露骨に嫌な顔をし、若い看護師を平気でどなったりしていた記憶が濃く残っている。ちなみに、医師は未熟なうちはいばる人もいるが、それでは患者にも看護師にも嫌われて居場所がなくなるため、段々いばらなくなる人が多い。世間を知る、ということだろう。その代わりきっとどこかでいばっている。

 そんな薬剤師らがベッドサイドで薬の説明を患者にするようになったのは極く最近のことである。当初、慣れない仕事に緊張し、はっきりいってとてもうまいとはいえない説明に患者たちこそが戸惑っていた。医薬分業が進んだ今でもその傾向は強い。急いでいるのにやたら質問攻めにしたり、難しい言葉を羅列したり…。患者らにいい迷惑と思われている薬剤師はまだまだ多い。コミュニケーションとは実に難しい。かくいう看護師にだって、その能力がなく患者を怒らせてしまうことは多々ある。コミュニケーション技術を磨くのは、日々の仕事の失敗を重ね、反省をし、自己練磨に励むという繰り返しで克服していくしかないのである。しかも相手はいつも違う。一生が勉強だといっても過言ではない。専門性を生かすことや実務体験を積むことは医療をいい方向へ導くのかもしれない。でも、4年制から2年延長させたからといって、その内容を吟味しない限り、そう単純に変わるとは思えない。最初から6年制の医師のコミュニケーション・説明不足能力はいつも問題にあげられ、今でも大きな課題である。では、8年制にしたらそれは解決できるのかといえばそうではないだろう。職能団体の既得権益意識というのは常に強く働き、それが法や制度を変えていく。今回も、理屈をいくら並べていても、もしかしたらプライドや自らの権利を守りたいため、という意識はないだろうか? 処方箋チェックができないという基本的なミスを犯すのは、教育期間が短いためではないはずだ。養老孟司氏が若いころ、近所のおばあさんに「これからどうするの?」と聞かれ「大学へ行く」と答えたところ、「ふ~ん、大学行くと馬鹿になるよ」と言われたそう、今よりはるかに大学の権威が維持されていた時代である。患者や国民は皆が皆馬鹿ではない。資格でも教育年数でもなく、目の前にいる「そのヒト自身」を鋭く見ている。頭でっかちでプライドばかり肥大化している人よりも、自分の思いや生活を理解できる暖かい人がいいに決まっている。薬剤師の役割が大きいからこそ、教育内容の充実と学生への厳しい態度が必要のはず、これは薬学部のみならず、すべての大学教育の内実に迫る重要な課題だと思うのである。

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