医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

9月25日~10月3日掲載
がん告知にまつわる裁判について

 今月24日、がんで亡くなった患者家族が提訴したケースに決着がついた。報道によれば、肺がんで死亡した当時77歳男性の家族が、「本人も家族も告知を受けていなかったため、適切な救命治療の機会を失った」として、秋田県成人病医療センターに損害賠償を求めていたが、このたび裁判所は第2審で「病院側は告知の適否を十分に検討しておらず、末期がん患者への対応として不十分だった」との判決を下したという。病院側は「告知するかどうかは医師の広い裁量に委ねられており、今回は告知する必要はなかった」と反論しており、その理由として診断時患者が高齢であったことや家族からの連絡がなかったことをあげているが、常識で考えても、これでは説明になっていない。患者が、約半年後には違う病院を受診していることから(そこでは告知を受けた)、どうも患者らは最初からこの病院や医師に対し、何らかの不信感を抱いていたようである。

 たまたま「がん告知」がキーワードであるが、もともとの患者・家族と医師とのちぐはぐな関係が、裁判にまでいたったものと推測できるケースである。それにしても、コトが起こったのは1990年、患者が別の病院を受診した末に死亡したのが1991年10月である。提訴がいつなのかははっきりしないが、12年前ときくと随分昔の話だという気がする。日本の裁判に時間がかかるのは周知のことだが、この10年間で医療、特に告知をめぐる様相はかなり変わってきたために、病院の敗訴はいたしかたないものと納得しつつ、若干の気の毒さもないではない。特にがん告知に関しては、少し前まで「がんは告知しない」というのが常識だった。それがここ10年の間に「患者の権利」がしきりに叫ばれるようになり、「インフォームドコンセント」や「セカンドオピニオン」が提唱されてきた。それらが成立する大前提として不可欠なのが「がんの告知」であった。同時に、あらゆるメディアでがんをテーマとした取り組みが盛んになり、がんが恥ずべき病気でも死に直結する病気でもなくなってきた、という概念の変化も大きい。遺族が「患者への説明は医師の全面的な裁量に委ねられているわけではない」と主張したのに対し、「告知するかどうかは医師の広い裁量に委ねられている」と反論する病院側。遺族の発言は「現在」の価値観であり、病院側のそれはもう古く、今では受け入れられないものである。

 この事件の発端が12年前であり、すべて医師にお任せするのがよしといった風潮がまだ濃かった点、つまり一種のタイムラグに関する見解は、今回の判決では触れられてはいない。そう考えると、古い価値観に捕らわれたままの病院のあわれさや、がんやその告知に対する意識が異なる「過去の出来事」を裁かれたという点が少々気の毒なのである。がん告知が一般的ではなかった時代に、それを主訴として裁判に訴える手段にまで至った底には、きちんと体系化した説明はできないものの、医師に対する相当の不満や不信が家族にはあったのだろう。今回の判決は、「医師の裁量」という言葉がもう古いのだということをはっきりと知らしめた。これは大変なことである。一判例としての重みもさることながら、医師や病院側の意識変革が強く求められていることを改めて認識すべき「痛い」ケースといえるだろう。

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