医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

9月17日~9月24日掲載
笑っちゃう「新・臨床研修制度」

 研修医をめぐる話題が目立って著しい。研修医とは、大学病院を卒業し医師の国家試験に合格したものの、実務経験が乏しく医師として到底一人前とはいえない人々―といったところだろうか。医学部を卒業するのは年間約1万3千人。そのうちの70%は出身大学病院の医局に入局(つまり就職)し、そこで先輩医師に従って実務を学ぶ道をとる。が、彼らの給料は驚くほど安く、月に10万には程遠いというケースも珍しくない。そこで、大学病院の持つ「系列病院」が求める当直医(アルバイト)として派遣されることとなり、その手当てを合わせてやっと人並みの給料が手に入る算段となる。しかし、大学医局に入るということは、その医局(教授と置き換えてもいい)の専門性を受け継ぐことを意味するため、幅広い研修内容とはならないのが事実。それなのに、いきなり系列病院などでは見かけ「一医師」として働く破目になり、本人にしてみればもう分からないことだらけ、というのが本当である。当直などでは救急も含めあらゆる患者がやってくる。実際、ヒヨコどころかまだタマゴに過ぎない研修医らに何ができるというのだろうか。当然、誤診だの処置の遅れだの患者のたらい回しだのといった、患者にしてみれば由々しき事態を引き起こすことになる。

 迷惑なのは患者だけでなく、当の研修医だって同じこと。アルバイト代を稼ぐためにロクな休みもなく働き続け、医局では一番下っ端なために絶えず気を使わねばならない。先輩医師ややさしそうに見えて恐ろしいナースらに囲まれ、それはそれは非人間的な扱いを受けることもあるだろう。過度の労働に加えストレスが加わり、とうとう過労死を引き起こしたケースもあった。まぁ、そんなこんなで、研修医問題は、つまるところあらゆる医療改革の壁となっている大学の医局制度にメスを入れる目論見もあり、このたびようやく「新臨床研修制度基本設計案」ができたというわけである。基本案の柱は、1:研修プログラム、2:施設基準、3:アルバイト禁止(研修医の処遇)に集約されているという。内容はともかく、この3つの検討については必須事項といえるだろう。しかし、この基本案の目的を改めて見ると、なんだかなぁと途端にシラけてしまうのである。それは、「将来の専門性にかかわらず、日常診療で頻繁に遭遇する病気等に対処できるよう、プライマリケアの基本的診療能力を身につけるとともに、医師としての人格を涵養することを目的とする」となっているのだ。「プライマリケア」―やはりここにも登場したか、とため息が出る。もう何十年も前から都合よく使われるこの「プライマリケア」だが、ではどんな意味?と尋ねられて、きちんと答えられる人はどれだけ存在するのだろうか?最も妥当な解釈を述べると、プライマリケアとは「患者が最初に接する基本医療」と訳され、「家庭医」とか「かかりつけ医」がその担い手となることを意味している(らしい)。

 具合が悪くなったらまず「かかりつけ医」(プライマリケア医)に相談する。かかりつけ医は、検査機器などが揃っている大病院へ紹介するべきか、あるいは他の処置をするか、などの的確な判断を各患者に下さねばならない。単なる風邪などの病気はそのままかかりつけ医が診、しかるべき患者のみが専門性の高い大病院を受診すれば、いきなり大病院に患者が集中することがなく、ひいては効率的で医療費削減に寄与する医療システムの定着が可能となる、というわけである。この場合かかりつけ医(プライマリケア医)は、あらゆることに精通し、人間的にも信頼が置け、詳しい検査をせずとも直感で症状の持つ悪性度を推測することが理想である。おのずと重層な臨床経験・人生経験が必要とされるはず。「基本的」であるがゆえにプライマリケアが下で、専門性の強い大病院を上位に置く傾向にあるが、これこそとんでもない話で、むしろその逆。専門性を持つということのほうがはるかに「ラク」なのであるが、上下関係で捉えれば、若い医師らの多くは専門性のほうに魅力を感じてしまう傾向は否定できないところである。

 ニュージーランドほか、一部の国ではこのシステムがうまく作動している。それはなぜか。プライマリケア医の教育と大学病院などで働く専門医とがきっちり別のカリキュラムで勉強するからだ。しかし日本の場合は、将来どんな医師になろうと、大学で勉強することは皆同じ、国家試験ももちろん同じ内容である。こんな状態で、プライマリケアやかかりつけ医などを叫んでみても、なかなかシステムとして普及していかないのも無理はない。先の基本案の目的は、そのままそっくり医学教育の基本である。通算6年間の大学教育ではほとんどなされていない「プライマリケア」や「医師としての人格涵養」を、臨床研修にいきなり盛り込んでしまうのはあまりに安易過ぎないだろうか?この案には、すでに様々な課題があげられているが、私は研修医の研修制度改革以前に、医学教育そのものの改革がまずは必要なのではないかと思う。細かく縦割りに細分化したなかでの改革なんて、西洋医学お得意の、いわばその場しのぎの「対症療法」と同意であり、結局これも西洋医学の弊害だろうかと思うと、もう笑うしかない気分になってしまうのである。

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