医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

3月6日~3月17日掲載
やたら「不要」なものが目につく今日この頃

 不況不況といわれるが、いったいどこが?と首を傾げることが多くある。巷にはモノがあふれ、ほとんどの人はとりあえず生きていくために必要なものを持っている。世界中見渡しても日本人ほど綺麗な格好をしている人々はまずいないし、学生の分際でブランドものを身につけていることが当然の国も存在しない。不況といわれつつ相変わらずどこから見ても豊かな国、日本。豊かすぎて「余計なもの」も多すぎる。近頃特に「こんなものいらない」と思ったものを3つあげたい。

 まず、高速道路の「ETC」。正式名をElectronic Toll Collection、日本語で有料道路自動料金引受システムという。ETCのメリットは「小銭が要らない」「いちいち料金所で止まらなくていい」というものだが、料金所で渋滞しやすいとはいえ、とても困っているから何とかしてくれというような国民の声は聴いたことがなかった。今年に入って何度か高速道路を走ったが、ETCの料金所はいつもガラガラ。ETCと書かれた新しい看板を見るたびに、あれ、国はお金なかったんじゃなかったの?と、いぶかしく思い、パーキングエリアのトイレにまで張ってあるETCの「通り方」カラー刷りビラを目にして、益々腹立たしさが募るのである。高速道路の管轄は、意味のない省庁再編の結果の産物であり、巨大利権を持つ国土交通省。国土交通省といえば公共事業にしろ公益法人にしろ結構槍玉にあがることの多い部署である。ニーズがないのにさもニーズがあるかのようにして作ったのだろうが、やっぱりニーズはなかったのだと思う。ニーズが乏しいのに多額の予算を投入したのは、ある種の景気対策だったのだろうか?ETCを利用するためには搭載機をあらかじめ購入する必要があるが、それを作っているのは大手の自動車部品や電化製品メーカーばかりであり、消費促進の狙いもあったのかもしれない。でも今のところ完全な失敗企画にしか見えない。ともあれ、これ、普通の企業の発想なら責任者も役員も何がしかの責任を取らされること必須だが、お役所はまったくモノの考え方がちがうようだから、きっとうやむやになってしまうのだろうと思う。行政は国民に甘えている。だから失敗しても平気な顔をしているのだ。高速を通り、ひとつの料金所がほぼ「死んだ」状態になっているのを見るたびに腹が立つから精神衛生上もよろしくないに違いなく、正直ちょっと困っている。

 次、「濡れた郵便切手」「これは不便」の声が寄せられていたというが本当だろうか?つまり、従来の郵便切手は裏が乾いていてそのままだと貼ることができない。だから不便。そこであらかじめ切手の裏面を湿らせておき、使う際にはシートからはがし、すぐに(唾液や水で濡らすことなく)使えるようにしたものを発売するという。さあ、これで便利になったでしょうといわんばかりに、NHKのニュースがこの新切手を取り上げていた。おいおい正気か?何だか遊んでいるのではないだろうか?郵政省よ。そんなことより、どんなに人が待っていようと朝は9時にならなければ窓口での仕事を始めないような体質を即刻改善することのほうがはるかにましだと思う。何よりお金がかからない。どうも基本的なところで「サービス」の本質を履き違えているような気がして仕方がない。それとも郵政省始め行政の面々は、ハナから自分らの仕事を「サービス業」とは思っていないのだろうか?さらにもっと気になるのは、郵政省がその気になるほど国民の声があったのかということだ。今の郵便切手では不便だとわざわざ郵政省に訴えた結果のようだが、それほど不便だとは思えないことを不便だとし、何とかしてくれと言ったのなら、国民は国に対し少し甘えすぎではないだろうか。

 3つめ「子供が乗っています」の表示プレート。前方を走る車のリアウインドウに「子供が乗っています」「赤ちゃんがいます」などのプレートを掲げているのを見ることがある。意地悪な私は、いつも「それがどうした」と思う。だから何だと言うのだろう。「だから気をつけて運転してください」という意味だとしたらとんだお門違い。気をつけて運転すべきは保護者であるドライバーであって、後ろを走る我々に責任を転嫁しないで欲しいものだ。車を運転するときはいつでも誰でもルールに則った細心の注意が必要。これが原則。子供を同乗させるときにはチャイルドシートにきちんと座らせるなりの義務を果たし、いっそうの注意を払いつつ運転する。これも常識。自分が初心者だったり高齢だったりすれば、周囲のドライバーに迷惑をかけるかもしれないから、万人にとって一目でわかるマークをつけ自分の技術の未熟さを知らしめることが望ましい。しかし、子供の存在を誇示する無意味なプレートはただただ押し付けがましい。もしかして、初心者同様「だからゆっくり走っています」という意味なら、少々言葉足らずというものである。目的の不明瞭な表示プレートはうるさくて気が散る。何が言いたいかわからない表示を掲げて平気なのも他人に甘える気持ちが先行している故のように思う。

 日本人はいつまで国や国民に、あるいは他人に、そして社会に甘え続けるのだろう。私が「不要」だと思うものをじっくり考えると、そこにはいつも独特の根の深い「甘え」が見え隠れしている。この「甘え」に付き合っていくことほど私にとってしんどい作業はない。

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