医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

2月22日~3月5日掲載
「科学的評価」がすべてではない

 3月号文芸春秋に「健康食品にこれだけの嘘」のタイトルの小文が掲載されている。書き手は東北大学医学部の坪野吉孝氏で、彼はこの中で巷に氾濫する健康食品の情報に振り回されないよう、その信頼性重要性をいかに見分けるかについて懇切丁寧に書き連ねるとともに、行き過ぎた報道のあり方についても触れている。確かに、健康食品については「がんに効いた」「がんが治った」との不確かな表現があふれ、いかにもの体裁を整えているものが多い。本当のところはどうなの?といった疑問を抱きつつも、すでに病気を患っている人やその家族にしてみれば、それこそ藁にもすがる思いで片っ端から試してみたくなる思いに駆られることだろう。吉野氏は、「何々がよい」というときの根拠となるデータの見分け方についてステップ1~5のフローチャートを紹介し、そのデータの信憑性を推し量る方法を解説もしてくれている。

 それによると、フローチャートの「ステップ1」は、「具体的な研究に基づいているか」であり、ステップ2は、「研究対象はヒトか」、ステップ3は「(そのデータの公表は)学会発表か論文報告か」、ステップ4は「研究方法が無作為割付臨床試験か」、ステップ5は「複数の研究で支持されているか」である。ステップ1からスタートし、ステップ5までクリアできた研究の結果、「よい」と判断できた健康食品だけが信頼できるのであり、どこかの時点で否定されれば、それは「科学的評価」に値しないので信頼できない、ということになる。最近報道された10の健康食品をこのフローチャートに当てはめると、すべてにあてはまらないものは「思いっきりテレビ」で紹介された「バナナが体内脂肪を燃やし、がん細胞抑制がある」であった。また、「あるある大事典」の「ブロッコリーががん予防」や「河北新報」の「アボガドに肝障害防ぐ物質含有」のアボガドも、ステップ1はクリアできたが2で落ちている。ステップが進むほどに各健康食品は次々と否定され、最後まで残ったのは(つまりステップ5までクリアできたのは)読売新聞による「緑茶に胃がん予防効果なし」であった。残念ながら、効果のないことを科学的に証明したものだけが吉野氏の評価に耐えたのであり、結局「あれがよい」とか「がんに効いた」とのポジティブな評価を得られたものは皆無ということになる。

 吉野氏は、一医師・研究者として患者から切実な相談を受けることもあるそうで、真摯な気持ちでこの小文をまとめたのだと思う。副題には「究極の判断法がこれだ」とあるので、偽情報にだまされることのないよう、わかりやすくレクチャーしてくれたのだろう。しかし―、「わかってないなー」というのが私の気持ち。冒頭に吉野氏自身が書いてあるように、フローチャートの解説にあたって「専門家がやった研究を評価するなんて素人には無理、そう思われるかもしれないが、簡単なルールをいくつか理解することで情報の信頼性や重要性をかなり見分けることができる」としている。だが、やはり「素人には無理」である。この種の知識がそこそこあるのなら別だが、極く普通の人々には到底無理。研究の基礎データをフローチャートに従って判断する以前の問題としてそれを入手することさえ困難の極み、である。まして新聞記事から、あるいはテレビ放映の主演者の言葉からフローチャートにあてはめるだけの情報をくみ取るなんて至難の技だ。また、ステップ5の「複数の研究で支持されているか」で「いいえ」となった場合「判断を保留して他の研究を待つ」とあるが、おいおい、素人にそんなこと要求するなよと言いたくなってしまう。

 第一いつ出るかもわからない研究結果を待っているほど皆暇じゃないし、待つぐらいならたとえ不確かな研究結果しかなくても自分で試してみて自分の体にとって「効く」かどうかを試すほうが、よほど話が早いだろう。たとえ100人中99人に効果なしの結果が出たとしても、残りひとりの自分にとっていいものなら研究結果なんて関係ない、というのが一般の人々の気持ちである。研究者から見た判断と健康を求める人々の判断の方法にはとてつもなく大きな隔たりがあるということだ。「科学的評価」を金字塔とする研究者とあくまで「自分にとってどうか」で判断する一般人との意識の差がまずわかっていない。しかも本当の意味で「科学的」といえるのか、との思いも捨てきれない。唯一ステップ5までたどり着いた「緑茶効果なし」にしても、吉野氏は緑茶の効用を否定するコホート研究が相次いで報告されているとし、その中で宮城県内40歳以上2万6000人を対象にした9年間の追跡調査を紹介している。同時に食生活についても調査したとあり、その結果緑茶を飲む杯数が多くても胃がんの発生率は下がらないとの結果を導いた、とある。この論文は世界で最も権威のある米医学誌に掲載されたというから、厳しい審査を経た点で「信頼性」が高いといえるのだろう。それでも正直、「でもなー」という釈然としない思いが残る。人の食生活や1日何杯緑茶を飲むか、なんてことはもともとあやふやな情報であるだろう。

 アンケートにしろ直接観察法にしろ、毎日毎年いつもいつも同じ行動や生活パターンをヒトは取らないものでしょう、普通は。それも数が「大規模」であることで相殺されてしまうのかもしれないが、「科学的」というほどのものではないのでは?と常にこの種の論文には懐疑的になってしまうのだ。では緑茶はやめましょう、という人は、たとえ存在したところで少数派だろう。だって緑茶は日本の文化であり、この場合科学的論証より生活や文化のほうが勝ってしまうのがそれこそ「健康的な判断」だと思うからである。健康食品の効用について、従来のように西洋医学から生まれた薬の効果を調べる方法をそのまま適用してもいいものか、との疑問もある。少数派を切り捨てる傾向のある「科学的評価」のあり方は、ひとりひとりの個別性を見ていこうとする健康食品に代表される代替医療の評価にはそっくりそぐわないものである。何より、半信半疑でありながらこれほどまでに健康食品に関心が高まるのは、皆が病院内で行われる医療では物足りないと思っているのだということを、現場の医師らは謙虚に受けとめなければならないだろう。視点が膠着している限りは、ほとんどがまがい物だとも言われる健康食品の中にある「本物」さえ見逃すことにもなりかねない、とつくづく思うのである。

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