医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

8月7日~8月20日掲載
「オーダーメイド医療」かっこいいのは言葉だけ

 言葉は、時に「魔物」と化す。言葉の与える印象が、実像を超えたイメージを人々にもたらし、その怖さは何気なく日常のなかにある。近頃の医療分野でいえば、その筆頭は「遺伝子」だろうか。遺伝子関連の記事や論文は数多いが、その内容はそれに携わっている人でないと理解できないほどに専門的で難解である。それでもとにかく、「遺伝子」と聞くだけで、がんや難病に苦しむ人々にとっては明るい未来がすぐそこまで来ているかのような錯覚を覚える。

 しかし、遺伝子研究が実際に役立つものになるにはまだ時間がかかる。おそらく、今現在がんなどで苦しむ患者に恩恵をもたらすまでにはいたっていない。その点を考えると、遺伝子というだけで報道する価値があるかのような風潮そのものがすでに「罪」である。同様に、最近気になるのは「オーダーメード医療」という言葉だ。7月9日付日刊薬業によると、文部科学省技術予測調査で、「保健医療福祉分野の技術課題のうち、がんや生活習慣病にかかわる診断治療技術テーマの重要性が高いと研究者や一般国民が考えている」ことがわかった、とある。

 また、バイオテクノロジーを含めたライフサイエンスの技術予測で重要度が高いとされたテーマでも、がんに関する課題が上位を占め、特に「個々人の遺伝子の構造、1塩基変異多型などを含む全塩基配列が即座に安価に決定できるようになり、診断やオーダーメード治療が普及する、など遺伝子医療に関する重要度も高かった」との結果が掲載されている。調査結果として、「オーダーメード医療」が登場するということは、すでにこの言葉が多くの人々に認知され、定着しつつあるのだろう。「オーダーメード医療」とは、人によって顔かたちや性質が違うように、たとえば薬の効き方ひとつとっても大きく異なってくる、そこでひとりひとりの遺伝子を調べ、あらかじめその人に合った治療法を選択することで治療効果を挙げようとする医療行為を指す。つまり、既製品ではなく細かく体の寸法を測り、その人だけの服を作ることを「オーダーメード」というが、この意を借りて、その人だけに合った治療、あるいは医療を「オーダーメード医療」と呼ぶ。

 人の遺伝子は10万種類あり、現在その働きがわかっているのはほんの1割強であるが、この先急ピッチで研究が進むために、こういった「個」を尊重する医療のあり方もそれほど遠い未来の話ではない、というのが大方の見解であるようだ。抗がん剤ひとつとってみても、投与してみてはじめて効き目があるかどうかがわかるような現実を考えると、オーダーメード医療こそ本来あるべき姿なのだと思うし、そうなって欲しいという思いは誰もが同じだ。しかし、人が夢を語るとき、そこにいたるまでの苦労を多くは考えないのと同じく、「オーダーメード医療」を実現するための本当の難しさはあまりいわれていない。「オーダーメード医療」を目指すなら、基礎となる遺伝子研究のほか、たとえば法整備について、カウンセリングについて、研究費と検査の実費にかかる費用について、その人に合った抗がん剤開発の可能性について…!などなど、遺伝子関連にとどまらない医療の本質的な課題が存在することも考慮しなければならない。医療の世界にも市場原理はある。薬剤も似たような種類の薬をなるべくたくさん売りさばかなければ、製薬会社にとっての利益はない。洋服は、100人の顧客に対して100通り分を作れても、100人の患者に対し、果たして100種類の抗がん剤を用意できるのだろうか。また、そういった複雑な内容を説明できる余裕と人材は十分に用意されているのだろうか。現在の医療の問題点は、集約すれば「個人の尊厳の軽視」にある。その現実と「個」を尊重する可能性を持つ「オーダーメード医療」という言葉の魔力が都合よくドッキングした結果、言葉だけが独り歩きをしている気がする。遺伝子解明とその活用にはもうしばらくの時間が必要であることを考えると、今現在「使える」技術の中で、「オーダーメード医療」に近い医療を実現することこそが大切なのだと思えてならない。

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