医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

6月26日~7月10日掲載
保険組合に「保険者能力」は残っているか

 日本の医療費が年々増え続けている、といわれて久しい。医療費の算出方法や厚生労働省の発表した数字に疑問を投げかける声もあるが、一応ここでは医療費、特に老人医療費の上昇が由々しき問題だとする定説に従うことにする。経済財政諮問会議が、「経済財政運営の基本方針」に医療制度改革の具体的な見直し項目を盛り込んだことが、自民党や日本医師会などに波紋を広げているという。(2001年6月24日読売新聞) 医療制度改革部分の要旨は次にまとめられる。まず、「医療サービス効率化プログラム(仮称)」として、1. 株式会社方式による経営などを含めた経営に関する規則の見直し 2. 保険者の権限強化、保険者と医療機関の直接契約の検討 3. 公的保険と自由診療との併用に関する規制の緩和 の3つを挙げ、次いで老人医療費については、医療費の伸び率を設定し伸びを抑制するための枠組みを構築する、とある。この中で、今回取り上げたいのは、2.の保険者の強化について、である。保険者とは、国民健康保険に加入している者にとっては「自治体」であり、サラリーマンにとっては「健康保険組合」や「共済組合」、「政府」である。現在の医療保険制度では、国民は何らかの健康保険に加入することが義務づけられており、それが日本の医療がそこそこ公平であるといわれる所以のひとつである。サラリーマンは、保険料を給料から天引きされるために徴収に取りこぼしはないが、自営業者が多く加入する国保の場合は、保険料の徴収が難しい側面があり、保険料未納になってしまう事態も起こり、結果的に国民皆保険とはいえない状況が存在している。昨今、老人保健拠出金が負担となり消滅してしまう保険者もあるが、おおまか全国5,000前後の保険者があり、これはドイツの疾病金庫(日本の保険者に相当する)に比べても桁違いに多い数である。この基本方針について、自民党や日本医師会は異論を唱え、健康保険組合連合会は期待を寄せている。前者の言い分は、「国が何を果たすべきか、の基本理念に欠けている」であり、後者は「基本方針をきっかけに医療費抑制が打ち出せれば、安定した医療制度の具体像が描けるのではないか」である。

 これまでもそれぞれの立場で試案を練っていたために、こういった方針が飛び出せばこれまたおのおのの意見なり危機感なりがあって当然だと思う。しかし、私が思うに、保険者云々に関していえば、失礼ながら果たしてそれだけの「能力」が保険者にあるのか、という疑問を押さえ切れない。保険者は、「保険料」という名の収入によって年度ごとに使える予算が発生する。自治体でいえば保険料は税金と同じである。感覚的にはその他の保険者も同様だろう。リストラが進んだ結果、組合員とともに保険料収入が激減した、という話もあるだろうが、では、そうなった時に保険者としてどれほどの自助努力をしたのか、一度具体的に示して欲しいものだと思う。保養所を閉鎖した、或いは救急箱を全組合員宅に配布していた慣例を中止した、などの話は漏れ聞こえてくるが、このようないわばバブル期の産物を見直す行為は当然でもある。レセプトの再チェック、といった事柄も企業努力の観点から見ればそれほど特異なことでもない。こういった消極的な対策ではなく、もっと前向きな、医療保険者として画期的な改革というものがなされているのかどうか。残念ながら少数を除いて比較的役所感覚に近い保険者が多いように見受けられるため、未だそのような努力は効をなしていないように思う。その証拠のひとつに、「新しい取り組み」決定は未だ遅い。それは、すべての業務が「予算」を前提にせざるを得ない体質だからであるが、こういった保険者のシステムそのものにメスを入れなければ、本当の改革とはいえないのではないだろうか。今回の基本方針は、保険者の役割を強化することで、保険者間の競争を促し結果的に役所的体質そのものを変えていこうという狙いがあるのかもしれないが、未熟な団体に競争原理を持ち込むだけでは、混乱が起きるだけで何も変わらない。基本方針にともなって保険者の統合と廃止について具体的に触れなければ、「絵に描いたもち」と揶揄されてもいたしかたないと思うのだ。

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