医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

6月5日~6月11日掲載
遺伝子研究の落とし穴

 ある朝、「たばこ遺伝子」の文字が目にとまった。「××遺伝子発見」「新たな遺伝子解明」「遺伝子研究進む」・・・近頃似たような記事をよく目にするが、またまた新しい遺伝子の発見に成功したというものだ。(2001年5月27日読売新聞)今回は、「DRD2遺伝子A2型」という遺伝子を持つ人は、持たない人に比べたばこが習慣的になりやすいことがわかった。男女別にみていくと、この遺伝子を持つ人が、習慣的喫煙者になりやすい危険度は、男性が3.2倍、女性が7.6倍ということである。女性の方が、男性より倍以上も高いのはちょっとした驚きだ。最近は、女性の、特に若い女性の喫煙者が増えている傾向にある。

 JT(日本たばこ会社)の調査では、2000年の成人男性喫煙率は53%、女性が13%前後である。圧倒的に男性喫煙者が多いものの、この数字には懐疑的にならざるを得ない、と当の女性達こそが思っている。女性トイレの汚物入れにある吸殻や銭湯で風呂上りの一服を楽しむ姿を目のあたりにすると、13%という数字は、「これは嘘をついているな」と思わせるのに十分なもので、そこには女性が喫煙することの後ろめたさを、女性自身が感じていることを示してもいる。JTの数字はサンプリングした対象者に対する聞き取り調査によるものである。本当は女性の喫煙率はもっと高いのではないか?という疑問とともに、今回の発見によって女性の方がより「たばこ遺伝子」の影響を受けやすいのなら、女性喫煙者が禁煙することは相当に難しいのではないか?などの素朴な思いがわいてくる。

 遺伝子関連の記事というのは注意が必要で、その発見が実際にどう応用され、どんな風にして病気に苦しむ人々を救ったかをきちんと見据えなければならない。そうでなければこの種の研究は研究者の遊びに終わってしまうことが珍しくないからだ。また、遺伝子は導かれた結果と絶対的な関係を持つわけでもない。今回でいえば、この「たばこ遺伝子」を持っているからといって、禁煙ができないと決めつける必要はなく、要は禁煙するという強い意志が大切だというコメントがある。つまり遺伝子の存在はあくまで「可能性の度合い」を表しているのに過ぎない、ということだ。ならば「たばこ遺伝子」の発見をどう発展させていけばいいのだろう。記事の末尾には「・・・禁煙希望者に対して、今後は個別・具体的な指導ができる道が開けた」との評価もある。確かにそうだろう、が、少し意地悪な見方かもしれないが、禁煙希望者が全員遺伝子の検査をするようになるのだろか?と考えてしまうのだ。それで、個々に遺伝子の存在の有無を知ることによって「どうせがんばってもダメなんだ」とか「じゃ案外すぐにやめられるかもしれない」などといった「余計な感情」が、禁煙したいという「意志」に水をさすことにはならないのだろうか?下手すれば「それを知ってどうする?」の世界に陥ってしまわないだろうか?

 また、本来、指導というものは具体的・個別的でなければならないのに、遺伝子の力を借りないとできないというのは医療のプロとして情けなくはないのだろうか?遺伝子は、まだまだ「占い」のレベル、当たるも八卦当たらぬも八卦のあたりでウロウロしている代物だ。今の時点ではどの発見も「原石のダイヤ」である。それを「本物の」「評価に値する」「人々に喜ばれる」ものにするにはさらに時間がかかる。ダイヤは輝いてこそダイヤである。私は、最終的にはその決め手は、原石を磨く「人」の育成にかかっていると思うのだ。しかし、その部分は遺伝子の研究の進み具合に比べ、あきらかに遅れをとっている。遅れをとっているどころか後退しているかのようにも見える。遺伝子や新技術に関する華々しい報道に拍手を送りたい気持ちはもちろんある。が、我ながら冷めた気分を否定できないのは、その先を考えてのことだ。どこか「バランス」に欠けた危うさに襲われるからである。このままだと技術だけが勢いづき、車の両輪であるべき「人材」の育成や熟成は、もたもたと覚束ないがために、次第にスピードがブレ、最後には車の走行自体とんでもない方角を目指すのではないだろうか・・・。 さて、どうすればいいのか?これは、大げさにいえば医療を考える上での21世紀における壮大なテーマだといってもいい。しかも答えや出口が容易に見つからない苦しいテーマである。が、決して目を背けたり知らぬふりをしたりはできない現実であることも確か。「医療」「健康」における「人」の問題―あえて私は、時間をかけてこの点にこだわりを持ち続けたいと考えている。

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