医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

Production著作/論文

コラムコラム-“病気”や“医療過誤”についての連載。

3月5日 減らない医療過誤04 フリードリッヒ皇太子の悲劇

 医療は、数々の失敗を経て発展し歴史を紡いでいく。
 現在、私たちは当たり前のように検査を受けたり薬を飲んだりしているが、当然ながらどれもこれもはじめから存在した方法ではなかった。幾多の失敗と反省と試行錯誤の上に成り立った近代技術の恩恵を受けているのは間違いない。
 歴史上最も有名な医療過誤の主役は、1880年代のドイツ皇太子フリードリッヒだろうか。フリードリッヒは民主的で慈悲深く、反戦的な皇太子として知られていたが、55歳のときに声が嗄れだした。
 「嗄声」と呼ばれるその症状は、今では喉頭がんの初期症状としてよく知られている。
 ベルリンからやってきた喉頭科教授ゲルハルトは、フリードリッヒの声帯に結節を認めたが、当時は常識であった定説「声帯が麻痺していなければがんではない」ことを理由に単純な腫瘍と信じ込み、結節を焼いたりナイフで切除したり、と悪戦苦闘した。
 しかし嗄声は益々ひどくなり、ドイツ医師団が結成され診察に当たったものの、誰もこれといった治療法に着手できないでいた。
 そこで加わったのが、当時イギリスで患者たちに大変人気のあったスコットランド人のマッケンジー医師である。彼は、フリードリッヒの喉頭結節の組織片を切り取り、病理学の権威、ウィルヒョウに提出した。
 彼が組織診断の結果「がんではない」と発表したために、マッケンジーはこれ以上治療の必要はないと判断し、イギリスに帰ってしまったのだ。
 しかし、フリードリッヒの結節は一向に改善しない。約半年後、フリードリッヒは再びマッケンジーを呼びよせ、今や反対側の声帯にまで広がったそれを見せ、「がんではないのか?」と尋ねたところ、マッケンジーは「殿下、遺憾ながらがんのように見えてまいりました」と答えたのである。
 フリードリッヒは何と言ったか?「それならば、私がこんなに元気では気がひけるな」と淋しげに微笑んだのであった。
 真相は、どうやらフリードリッヒにはもともと梅毒が潜んでおり、そこにがんが併発したために診断を難しくしたこと、その身分上梅毒であることをあからさまにできなかったこと、政治上の駆け引きのために常に迅速な対応が遅れたこと、などなどがあり、単純な「医療過誤」の範疇を越えていた。
 最後には総勢20人の著名な医師団に取り囲まれ、わずか99日の在位の後に死亡した。
 数々の「行き違い」があったとはいえ、この時代の医学の水準ではどのみち治癒は無理だったかもしれない。
 もし、この温和で真摯なフリードリッヒが病に倒れなかったら、ドイツには民主主義が定着し、1914年に勃発した第一次大戦も起こらなかったのではといわれている。
 表は、16-19世紀にかけてヨーロッパに伝わる格言の一部である。これを読めば、少なくとも現在我々を取り巻く医療は、ずっとましだと感謝しなければならないかもしれない。

ヨーロッパに伝わる格言

 医者はあまり知りもしない病気を治そうとして、
 何も知らない薬を、全然知らない人体に注ぎ込むのだ。
 ヴォルテール

 世の中で医者ほど幸福な人間はいない。
 製鋼すれば世界中が誉めたたえ、失敗すれば世間がふたをして覆い隠してくれる。
 フランシス・クワールズ

 医学とは憶測から出発し、殺人によって進歩するものである。
 アンソニー・カーライル

 医者は職業人であり、殺人大学卒業生である。
 シドニー・スミス

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