医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

Production著作/論文

コラムコラム-“病気”や“医療過誤”についての連載。

2月19日 減らない医療過誤02 大切なのは早期情報公開

 最近記憶に新しい医療過誤といえば、東京女子医大で起こった小六女子の「心臓手術中における死亡事故」だろうか。
 新聞報道によると、先天的な心房中隔欠損症であったこの女児は、激しい運動以外は極く普通の生活を送ることができたが、今回、そこそこの運動にも耐えられるよう、根治治療を目的とした手術に臨んだのだった。
 術中は心臓を停止状態にするため、その代わりとして人工の心肺装置を使用することになったが、このとき、血液を吸引する装置ポンプの回転数を上げすぎたことがきっかけで、血液の循環に支障が生じた。
 医師は女児の様子がおかしいことに気づいたため、急ぎ専門技師を呼び正常に作動させようと試みたが、その間15~20分間は血液循環がストップした状態に陥り、女児は重い脳障害を起こし意識不明のまま術後3日目に死亡に至った。
 術中起こったことをざっと振り返ると、ポンプの回転数を上げすぎたことは操作ミスと考えることができるが、少なくとも故意でない点で「事故」の印象も残る。
 が、問題はここからで、手術の担当医師は両親に対しこれら一連のいきさつを説明しておらず、単に「心不全」としか告げなかったのだ。
 どこか納得できなかった両親は(一部の報道では内部告発もあったといわれるが、このあたりの真相は不明)、病院側に調査を要請し、その結果操作ミスが判明した、という次第。複雑高度な医療機器に囲まれている現代の医療では、機器や設備の取り扱いが不適切だったために思わぬ事故につながりやすい。
 その危険は常に存在すると考えていいだろう。
 とすれば肝心なのは、ミスによる患者の「異変」にいかに早く気づくことができ、いかに早急に対処に取りかかれるか、ということがひとつ。そしてさらに重要なのは、その事実、つまりミスが生じた経過について、ありのままを家族らに「情報公開」することだろう。
 隠蔽工作、カルテの改ざん、説明不足は、家族の不信感を高めるばかりであり、結果的にいいことはひとつも生まれない。
 東京女子医大の件でも、病院の報告書は「脳障害の事実を隠蔽する意図が見える」点を厳しく指摘しているのだ。
 後に客観的な視点で考えたときには、なぜその時点で正直に話しておかなかったのだろうと、率直な疑問がわいてくるばかりで、当の本人(担当医)たちの心情を理解するのは難しい。
 ただ、人間の常として、非常時には冷静さを失ったり、黙っていればわからないのではないか、との甘い思いがどこかにあったかもしれないということを、想像として頭で納得できるだけである。
 今では「こんなことなら、手術を受けさせなければよかった」という女児の父親の言葉だけが重く残るが、その重さこそ全ての医療従事者たちにとって共通なものでなければ、女児の死も調査報告も意味を持たないことになる。

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