医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

Production著作/論文

コラムコラム-“病気”や“医療過誤”についての連載。

2月4日 減らない医療過誤01 事故発生時の対応がカギ

 医療過誤、あるいは医療ミスといわれるニュースはもはや珍しくなくなった。
 インターネットで調べてみると、わずか2~3日間における医療過誤にまつわる内容のものは決して少なくない。
 「医師の過失認め7300万円賠償命令」、「某大学医療センター医師らを遺族が告訴」、「某大学研究所に過失、国に800万支払い命令」、「医療ミスで新生児に重度障害」、「人工呼吸器操作ミス、女性が死亡」などなど、ざっと拾い上げたものだけでもこのとおりである。
 患者の取り違え、メスなどの手術機器の体内への置き忘れ、間違った点滴内容物や薬の投与量…。
 信じられないうっかりミスによる事故は後を絶たない。
 医療過誤が明らかになったとき、多くの国民は驚きあきれ返る。
 しかし一方で、一度でも病院などで働いたことのあるものたちは、どれも「あり得ること」だと捕らえている。たまたま自分でなかっただけのことであり、たまたま自分は運がよかったのだと安堵する。
 それほどまでに今や医者も看護婦もその業務内容は複雑かつ煩雑化が著しく、院内はいつでもどこでも医療過誤の起こりやすい環境であることを十分に承知しているのである。
 図は、最高裁調べによる医療過誤訴訟事件の処理状況であるが、いずれも年々右肩上がりに増えており、一考に減少の気配がないのが伺える。
 しかもこれらは氷山の一角であって、訴訟に至らないものや医療過誤だと気づかされていないものを考慮すれば、実際の過誤は相当数あると考えていいだろう。
 医療過誤とは、「医療事故の中でも、医療従事者が払うべき注意義務を怠り、患者が障害を受けたもの」と定義される。誰も事故を起こしたくて起こすわけではない。ほとんどの過誤の原因は、本当にちょっとしたミスや誰にでもある間違った思い込みによるものばかりである。
 「払うべき注意義務を怠り」とは全くそのとおりであるが、何ともやり場のない思いが患者や家族らに、そして医療従事者側にも重く残る。
 医療過誤は医療が生まれた時から存在したのだろうが、特に近年報道が目につくようになった。
 そこには、高度な医療技術の台頭といった近代社会の宿命ともいうべき背景や、絶対的な人手不足といった問題もあるが、患者らの権利意識の芽生えや医療情報の普及なども大きく影響している。
 今でも患者は弱い存在であることには変わりはないが、以前のような「泣き寝入り」ではなく、堂々と戦う姿勢を持ち始めるようになった。
 同時に、単なるうっかりミスではなく、起こった出来事の隠蔽という点で、かなり悪質な医療側の対応も以前よりは目立ってきたような気がしている。
 医療過誤は起きてはならないことだが、一旦起こってしまったことについてどう対応するか、実はその点が一番肝心なのではないだろうか。
 事実を隠したり、嘘の説明をしたり、誠意がなかったり…、医療のプロとしてというより、人間としての「心」を失ったときに患者や家族らは嘆き、そして怒るのである。

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