医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

Production著作/論文

コラムコラム-“病気”や“医療過誤”についての連載。

1月29日 "病気"を考える 3 将軍吉宗に見る健康法と晩年(下)

 吉宗は64歳で脳血管障害によって倒れ、以後右半身麻痺と言語障害が残った。
 氏家幹人氏が発見した新資料「吉宗公御一代記」によると、障害の残った吉宗が周囲の手厚い看護に恵まれたほか、もともと本人の人並みはずれた気概に助けられ、吉宗の病状は確実に快方に向かったとある。
 麻痺がある場合、まず日常生活動作が自力では不可能となる。今でいうところの「要介護」状態であり、吉宗は食事や排泄、歩行、入浴などすべてに人の介助が必要となったのである。
 吉宗1人につく介護者(小姓)は約90名、それぞれ食べ物を口に運ぶ役、歩行リハビリのときに支える役、排泄に付き添う役などといった分業がなされており、この他医療的なケアを担う専任の医師が五人選ばれていた。
 小姓といっても年端20代から40代の経験豊な男性陣であり、資料はそのかいがいしさやきめ細かさにも触れている。
 現在日本では、家族介護が未だ奨励される一方で、家族の負担を少しでも軽減することを目的に「介護保険法」が作られ、介護を社会で支えよう、といった概念が育ちつつある。
 そのために介護のプロを養成することが急務となり、今や介護関連の仕事は、その大変さにもかかわらず若者にも人気が出始めている。
 しかし介護に携わるプロたちの報酬は驚くほど少なく、職業としての安定感にも欠け、正直「魅力ある職業」と認められ定着するには、あまりに多くの問題や課題が山積みしているのが現状である。
 吉宗の介護役を仰せつかった小姓らへの褒美(ほうび)を知って驚いた。
 今の額に換算した場合、介護担当者1人につき年200万から300万円、その補助要員にも50万から100万円の特別手当が支給されているのだ。相手が相手だけにその介護も大変な緊張に満ちたものだったと思うが、この褒美の額から、小姓らの介護への評価が随分高かったことが推察できる。
 いくら介護が充実していても、本人の「気」がなければ病状は良くならない。
 この点、吉宗は特に歩行訓練には自ら力を入れ、寒い日にも調子が良ければ積極的に外へ出て行った。リハビリに励んだおかげで、一時は大好きな鷹狩にも出かけ、支えなしでかなりの距離を歩くことができるようになった。
 相変わらず言語は不明瞭で、何事かを口走るたびに小姓らが聞き返さなければならなかったが、一方で意識や頭脳はかなり明瞭だったようである。
 発作後、わが身を嘆くだけでリハビリに力が入らないケースもままあるが、いつも全力投球した吉宗の様子には心打たれるものがある。
 1751年(寛延4年)、吉宗は68歳でこの世を去る。
 「吉宗公御一代記」の作者でもあり、吉宗の治療・介護の指揮を担った小笠原石見守も1769年85歳で没。
 どんな人間にも死は平等に訪れるが、歴史上の人物たちの「生き様」「死に様」を学ぶ機会はいつの時代も貴重である。

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