医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

Production著作/論文

コラム「がんについて」コラム「がんについて」の連載。

5月29日 「がん」について 28
食道がんと遺伝子

 遺伝子は非常にナーバスな問題である。がんが遺伝子の変異であることは、すでによく知られている。
 遺伝子といえば、我々の体質そのものの根源である。未知で神秘的なるもの、そして決して人間が介入してはならない世界。
 …というのは、ひと昔前の話。
 現在では、遺伝子の研究はさかんに行われ、その結果の一部を利用した「遺伝子診断」の言葉も定着しつつある。
 コトがコトだけに、その扱いには十分な注意が必要といわれているにもかかわらず、一方では際限なく進む遺伝子にまつわる動きが垣間見える。
 今年3月に、8つの学会が共同声明として厚生労働省に提出した「遺伝学検査に関するガイドライン」は、野放し状態で広がる遺伝子診断に歯止めをかける目的を持っている。
 しかし、世の常として、人間の好奇心やビジネス欲は並大抵のことでは納まらない。
 おそらく、アンダーワールドでは、未だ遺伝子を応用した様々な検査やビジネスが密かに行われている可能性が高い。
 気をつけないといけないのは、現在分かっている遺伝子の情報は、全体から見ればほんの一部分だということだ。決してすべてが解明されているわけではないために、遺伝子の検査結果が偏ったものである可能性は非常に大きい。

 食道がんでいえば、
 過度の飲酒は食道がんになる
 →それは、アルコールの代謝によって生じる発がん物質を十分に代謝できないからである
 →したがって、食道がんのリスクを調べるためにはアルコールを代謝する酵素の遺伝子診断をおこなう、
 という筋道で説明される。

 しかし、実際は、これほど単純なものではなく、もっと多数の遺伝子が複雑に絡み合って発症するので、この検査だけで「食道がんのリスクが高い」と言い切ることはできない。
 遺伝子というのはそれほど簡単ではなく、もっと手強い存在である。
 遺伝子治療として、変異の起こった遺伝子を正常な遺伝子のコピーと置き換える方法が、理屈では最も効果があるようにも思うが、それは現在では不可能である。
 変異を起こした遺伝子の他の働きはまだ分かっておらず、正常な遺伝子と置き換えたときの影響がどんなものかは、ほとんど知られていないのだ。 検査や診断が複雑なら治療も同じことで、遺伝子治療が効果をあげるにはさらなる研究が必要である。
 さて、食道がんは、男性の方が女性より圧倒的に多く、60歳代後半にその死亡率がピークを迎える傾向にある。
 食道には胃や大腸にあるような丈夫な膜(しょう膜)が存在しないので、がん細胞が簡単に食道の外へこぼれてしまい、周囲の血管やリンパに広がっていくのである。食道がんに限らないが、がんが大きくなったり、転移を起こしたりする段階でも、常に遺伝子の存在が関与する。
 当たり前といえば当たり前だが、実に複雑怪奇な一連の現象は、まだまだ人間の知恵程度では説明がつかない。
 ほんの少し表面的ながんの動きを、そっとなぞっただけにすぎないのである。

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