医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

2005年7月7日~8月3日掲載
疫学的手法への疑問

 「えきがく」とワープロキーを叩くと、「易学」が最初に登場することが多い。いうまでもなく「易学」は占いで「疫学」は病気と原因の因果関係を調べること、似ているようでちょっと違う。疫学研究は世界中で盛んだが、最近になってこれまで信じられてきた調査結果とは異なる研究結果が相次いで発表され、戸惑いを持って受けとめられている。例えば、厚生労働省の研究班による9万人対象の大規模疫学調査。この結果によれば、野菜の摂取量と大腸がんや乳がん罹患の危険率には差がなかったという。これまで、日本人に大腸がんや乳がんが増えているのは、野菜を上手に活用した和食中心ではなく、動物性脂肪をふんだんに使った洋食に偏ってきた結果だという説は、もはや常識となって信じられてきた。我々こそ「野菜が不足がちな現代人」に間違いないとの思い込みがあるのは、何もサプリメントや野菜ジュースのCMのせいだけではなく、疫学調査というれっきとした科学的研究の結果に基づいたものだったはずだ。これより以前にも、βカロチンの過剰摂取が肺がんのリスクを高める結果が出ていたし、コレステロールはやや高めの人のほうが長生きすることもわかってきた。また、何となく不健康のイメージが強かったコーヒーが、実は肝臓疾患の予防につながる事実が明らかになった。これまでがんになりたくないと、せっせと野菜を食し、コーヒーよりフレッシュなフルーツジュースを好んできた努力はいったいどうなるの?と、文句を言いたい気持ちも理解できるというものだ。

 疫学調査は、簡単にいえば個体(ひと)と病気の発生との因果関係を調べようとする学問で、古くはスモン病などの公害病の原因特定に、最近ではピロリ菌と胃がん発生との関連についてもこの手法が用いられている。疫学の手法が適しているのは、その対象となる疾患の発生数が多いこと、ある程度長い潜伏期間(発病までの期間)があることなどである。本来は、ここ数日間話題になっているアスベスト調査などに最も適した原因追求型研究で、コンピューターの解析ソフトの発達とともにあらゆる場面で用いられるようになったやり方でもある。疫学研究では、研究対象の数は多ければ多いほど、また調査年数が長ければ長いほどその結果の信憑性は高まるといわれる。しかし今や、我々のからだは複雑怪奇。遺伝子の変異と生活習慣が絡み合って発症するがんや脳血管疾患などに、果たして疫学的手法がどれほど貢献するかは甚だ疑問に思うのである。アスベストや水銀などの有害物質に暴露されて(さらされて)人体に影響を及ぼすような病気と、完全に無害とはいえないまでも野菜やコーヒーなど食事に代表される日常品とでは暴露そのものの被害度がまったく異なる。しかも、生活習慣病の場合には、運動不足やストレスなどの要因も大きく関わっている。要因そのものもさることながら、個体(人)の非単純性については今さら言うまでもないだろう。このような複雑な要因が絡まって発症する生活習慣病のリスクを追求するのに、疫学的手法がどれほどのインパクトを持つのか、まさにその疑問に対する答えのひとつが今回の結果だともいえるのだ。

 疫学は、あくまでリスクの「傾向」を推し測ることができる程度であり、時代や対象やアンケート方法によって結果が大きく異なってしまう。さらに、出た結果を個人の健康や予防にどれだけ反映できるかはまた別の話ではないだろうか。疫学においては、複雑な要因が絡むのを排除し、偏りのない結果を導くような方法もきちんと確立されている。その作業をコンピューターが行うわけだが、結局そこに残るのは、人間の営みや文化や個体差をとことん削りとり、極めて単純化された「一結果」に過ぎないともいえる。よろしくない要因ではっきりしているのは「たばこ」「塩分」「運動不足」である。しかしこれも、長寿で元気なヘビースモーカーの存在、塩分大好きな身近な高齢者、運動嫌いの元気者…枚挙にいとまがない例に対して確かな答えは明示されてはいないのだ。ではいったいどうすればいいの…?疫学研究の結果はあくまで「参考」に。くやしいが、病気の発生には「運」が大きく作用する。少なくとも個人の健康問題に関しては「科学」より「運」のほうに力がある。そういえば「易学」である風水などは、数千年の歴史を持つ壮大な統計学の賜物でもある。科学という言葉だけに振り回されることなく、「易学」と「疫学」をバランス良く上手に活用し、自分らしく日々過ごすことのできる人こそが、真の健康人ではないだろうか。

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