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2005年2月7日~2月10日掲載 的外れな少子化対策

的外れな少子化対策

 少子化対策への批判はすでに何度も書いてきたが、新年を迎え、目につく大新聞の特集記事がほとんど「少子化問題」で占められているのに改めて驚いた。「家族」「育児」「女性の生き方」など表現や切り口こそ違っているものの、結局ほとんどが高齢化とセットになっている少子化社会の行く末を危惧する内容になっている。その中で、いくつかの記事を取り上げ、いかに我が国の少子化対策が虚しいものか再度言及してみたい。国の少子化対策の代表が「エンゼルプラン」と呼ばれるもの。年々下がり続ける出生率と反比例するかのようにこのプランにかける予算枠は益々広がりつつある。ちなみに平成13年度予算3,153億円だったものが14年度は3,304億に跳ね上っている。これでも高齢化対策のゴールドプランには遠く及ばず、こんなハシタ金で何ができるとまずは言いたい。さらに問題はその内容で、保育園の拡充と保育時間の延長が主たる対策案。それでは出生率に貢献しないことが実証されているにもかかわらず相も変わらぬ内容になっていること自体がすでに普通ではない。その他を見ても、1992年に施行された育児休業法さえその利用が進んでいない。
 ニッセイ基礎研究所上席主任研究員・武石恵美子氏によると、給付金を受けて育児休暇を取る人は生まれた子どもの約1割であり、父親のそれは0.1%以下だという。当然ながら子どもは年々歳を取る。1歳は1歳なりの、3歳は3歳なりの、7歳は7歳なりに親を悩ませる。生まれたての、あるいは保育園に行く年齢だけを視野に入れた小手先対策では到底追いつくはずがなく、武石氏もその点を指摘している。一方、1月9日付けの毎日新聞によれば、10代以上の男女1000人あまりを対象にしたアンケート調査の結果、子どもがいない男女のなかで「子どもを欲しくない」と答えた人が何と23%にのぼったという。その理由として経済的な負担をあげた人と同じくらい多かったのが「出産育児がわずらわしい」という答えであった。つまり、子どもを生んだ後の対策云々以前の問題として「子どもはいらない」と言っているのだから、これを的外れと呼ばずに何といおう。必要なのはエンゼルプランではなく、現在生きて生活している人々の意識の改革そのものだということになる。調査や実態を受けてコメントする「有識者の意見」も空々しい。いわく、「若年出産の奨励」(堺屋太一氏)、「豊かな時代の子育て支援を」(日本総研 池本美香氏)、「働き方の見直しを視野に入れた施策の展開」(武石氏)、「柔軟な勤務時間の設定や働き方の選択肢を増やす」(伊藤忠商事会長 丹羽宇一郎氏)などなどである。
 もともとこの国には「自分だけがよければいい」と思う国民が多すぎる。いわゆる公共の精神が欠けているといっていい。加えて女性には極めて冷たい「社会」である。「おんな子ども」との言い様は他の国ではまず聞かれない。子どもは国の宝だとか皆で育てるとか母子を慈しむなどといった概念とは遠く離れてしまった国民なのだ。その点を無視した国の政策はいえばいうほどシラケてしまい、多くの国民は冷ややかなな目でしか見てはいない。こうなったら取るべく道はふたつのうちどちらかしかない。ひとつは、少子化対策として徹底的にお金をかけること。妊娠して出産が決まったら30万くらいの「おめでとう金」を付与する。そして無事生まれたらさらに30万円の「かわいいね金」、以後一ヶ月検診や3歳児検診、入学時や予防接種のたびに奨励金を出す。野田聖子議員は不妊治療にも保険が効くよう推奨している。個の体験をそのまま政策に反映させる考え方は短絡すぎて幼稚だが、真剣に予算を出すならそのくらいは当然かもしれない。ふたつめは、いっそ自然にまかせて何もしない。出生率がどうなろうがまったく子どもが生まれてないわけではないので、放っておいて予算は別のことに使うという考え方もある。個人的にはふたつめの「自然放任」が好きだ。半端な予算は捨て金に過ぎない。あちこちで優良託児サービスができている。池袋の映画館では乳幼児の母親にも映画をゆっくり観てもらおうと来館者の子どもを預かることにしたそうだ。こういうのは、がんじがらめになっている母親を解放する効果ありで大歓迎。欧米ではベビーシッターにベビーを預け、夫婦で着飾ってパーティなどに行くのは普通のこと、こういう草の根的変化が日本の母子密着文化を変えるのではないかと期待ができる。少子化対策も国はお手上げなのだから、思い切って、いわゆる「民間」に任せてみてはどうだろう。

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