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2004年12月18日~1月5日掲載 「学校教育」への幻想

「学校教育」への幻想

 少し前に、「薬学部6年制」への批判メッセージを書き綴った。ほとんどがこの移行に賛成のなか、本当に数えるくらいの方から賛成メールをいただいた記憶がある。ところが今度は「栄養学専門大学院」設立の提言が発表された。それによると、21世紀における栄養学の研究者や教育者を育てるための大学院が不可欠なのだという。なぜなら「…人間栄養学は医学や食品科学だけでなく、社会学、経営学、行動科学、食品工学などの知識が不可欠で、家政学系大学などに設置されている既存の栄養学系大学院ではその役割を十分に果たせない」からだという。あるいは「日本人の長寿を見習う開発途上国の栄養政策に貢献できる専門栄養士、人口問題や食料問題に対応できるグローバルな視点を持った栄養の専門家育成が急務」だという。いや~、ずれてますなー。何故にこうすぐに大学の就学期間を延ばしたり、大学院をやたら作ったりしたがるのだろう。学校で教えてもらうことなどナンボノものかと思っているのに。最近特に医学福祉系にこういった傾向が強い。看護師らの育成がほとんど4年生大学へ移行したのもその一貫である。
 しかし、繰り返すが、学校で習うことはほとんど社会では役に立たない。栄養学の研究者や教育者を何年かけて大量増産しようが、論文の書き方の上手な人間が余るだけで、国民の栄養にはほとんど寄与しないのだ。医学福祉系の分野は専門家の集まりだ。それぞれ縄張り意識やプライドがけっこう強い。持っている資格への執着心も並みではない。ほとんど断言できるが、大学院設立などという構想は、当該職種のステータスをあげるための手段でしかない。栄養だけでなく、医学部や他の職種もそうだが、本当にこの趣旨を生かし、「グローバルな視野を持ったスペシャリスト」(しかしこれもまた手垢のついた表現で、口にするのも嫌だ)を育成したいのなら、「医学や栄養学以外の社会経験を持つ人間のみを大学の受験資格にする」、くらいのことが何故できないのだろう?あるいは、学歴ではなく、まずは英語力と人物だけを評価するような入学資格を何故作らないのだろうか。狭小化された世界で4年も6年もぬくぬくと過ごした者のなかから、まともな対人間スペシャリストなど育つはずがないではないか。本来「学ぶ」とは「学校で教えてもらう」ことを意味するのではない。特にこの分野では、対人間の泥臭い日常のなかで、叩かれ、迷い、打ちひしがれ、考えさせられて、自分の力で我がキャリアを育てていくのが基本である。それを学校という閉鎖社会の内で育てることができるとでも考えているのだろうか?何でも「学問」に仕立て上げることがそもそもの間違い。学問が一番上位にあるのだという思い込みが間違い。学校へ行けば、その道のスペシャリストが育つという単純さが間違い。教えるほうだって現場を知らない輩が多いというのに、その点に目をつむっているのも間違い。すべて「学校」、あるいは「学校教育」という名の「幻想」である。

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