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12月5日~1月14日掲載 「自殺」は不幸か

「自殺」は不幸か?

 日本人の死亡原因として「自殺」が増えているという。1997年に自殺者総数が3万人を超え、以後ずっと減少する気配がないというニュースが流れている。この現象をどのように捉えるか、は人により様々だろうが、自殺者に働き盛りの50歳男性が目立つことから、ほとんどの論調はこのような事実を嘆き調子で伝えたうえで、心のケアこそが必要であるとの結論を導き出している。企業内にもしきりと「メンタルケア」の言葉が氾濫し、ストレスの多いサラリーマンたちに焦点をあてた対策を取ることが最善であるかのような報道が続いている。
 自殺の真の原因はわからないが、健康問題や経済的なことがほとんどだという。東京衛生研究所によれば、自殺と景気の間には相関があり、1998年の男性自殺者2万人強を見ると、50歳台の自殺は前年度比較54%であるという。これらから推察するに、不況やリストラといった経済問題が背景にあって、健康問題が発生し(この場合うつ病である可能性が高い)複合的な要因が絡まって自殺にいたるケースが多いのだろう。働き盛りの男性を失った家族からの悲痛な声も高まっており、だからこそ「メンタルケア」が言葉として市民権を得ているのだと思う。「戦争が自殺の増加の抑止作用を及ぼす」と言ったのはデュルケームであるが、日本でも日露、第一次、第二次世界大戦の直前には、自殺者が減少する傾向をはっきり示している。特に第二次大戦突入直前は、過去のピーク時の半分にまで落ち込んでおり、当時の男性自殺者数は5115人、女性のそれは3660人であった。現在の1/4である。戦争がないことを平和だと定義すれば、自殺者が多いことは日本の平和を裏付けているといえる。また、日本は60年近くも戦争をしていないのだから、過去の状況からみて自殺者が増えることは当然であって、驚くに値しないという見方もできるわけだ。その反対に、今日の食べ物にもありつけず、いつ地雷を踏むか分からないような国には自殺はほとんどない。それにしても日本は狭い。国土が、ではない。モノの見方や捉え方、考え方そのものが狭小化している。日本で流れているほとんどのニュースが国内のことのみに集中し、事実から導かれる問題解決のための提言も甘ったるくつまらんものが多い。人は必ずや死ぬ。病気であるかもしれないし、事故かもしれないが、死は誰にも平等に訪れる「とき」である。自殺者は自ら命を絶つことで死やその方法を選んでいるのだ。これを一概に不幸とみなすのはおこがましくないのか?ほとんどのメディアが企業内でメンタルケアに専念せよ、との単純な結論に落ち着いてしまっていいのだろうか?自殺も個人によるひとつの選択だと突き放して観ることは冷たくて悪いことなのだろうか?
 しばらく前、不祥事を起こしたある大学教授がいた。大学も解雇になってしまい、居所がわからなくなった。その弟子らはもしかしたら自殺したのではないか、と大騒ぎをし、居所を探しまわっていた。その際に「死にたい人は死ねばいい、放っておいたらどうだ」と言った私に対し、一斉に驚きの視線が向けられた。国は「健康日本21」で自殺者の減少を数値目標であらわし、それを国や自治体の仕事として明確にするために健康増進法なるものを設置した。近頃一番ぞっとした話である。「死にたい人は死ねばいい」、私は今でもそう思っているし、その思いが自殺者の最後の選択を尊ぶことにつながっているのだと信じている。

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