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コラム「一刀両断」のご案内です。

10月26日~11月19日掲載 高齢化と少子化

高齢化と少子化

 やれ高齢化だ、やれ少子化だととかく問題視される。高齢化のピークは見えたが、少子化には歯止めがかからないともいう。しかし、ピークが見えたっていうのはあくまで統計上のことであって、現実にはいずれもそのときになってみなければわからない。今回高齢化現象はさておき、もう一方の少子化を取り上げてみたい。統計学的にどういうことか簡単に説明すると、まずは単純に新しく生まれてくる子供の数が問題。1年間に生まれる子供の数は200万人前後であるのが普通なのに、日本のそれは120万を下回っているのだという。また、ひとりの女性が一生の間に生む子供の数を合計特殊出生率といい、これが俗にいう「出生率」を示す。この数字が2.08を下回ると人口は減少し始めるのだが、日本はどんどん下降傾向にあり、今や1.33まで落ち込んだ。つまり、日本女性がどんどん子供を生まなくなっており、人口が高齢層に偏り、それが社会の労働力全体の低下を意味し、このままでは社会保障上大変だということになっている。
 そこで、少子化対策として真っ先にあげられるのが「育児支援」である。これを受け、保育所の増設に始まり、産休や育児休暇の取り決めや企業側の姿勢などについてのレポートや報道がやたら目につくというわけである。女性が働きながら子供を育てる環境を作っていこうと、厚労省や各自治体は「エンゼルプラン」などと称して審議会や有識者会議を重ね、それなりに必死の様相を見せているのである。先日も最新の報告として、働く女性の2/3が子供を生んだことをきっかけにして仕事をやめている事実をあげ、企業の受け入れ体制の現状や理解のなさを訴える番組を見た。そしてお決まりの言葉どおり「社会全体で育児支援を」といい、最近では女性ばかりか男性(父親)にも育児休暇が当たり前、そういった配慮がないところはけしからんといった風潮を示し、はなはだ閉口した。ここで、少子化や出産後に女性の多くが仕事をやめてしまう現実に対して、「育児支援」重視の観点で論じようとすることに異論がある。なぜなら、仕事をやめてしまう人のなかには「育児に専念したい」と自ら希望をする人もそこそこ含まれているからである。「育児に専念」、結構なことである、その意思その決意を誰が咎められるだろうか。彼女らの多くは、育児休暇や保育園の充実がないからこのように発言しているわけではない。様々な経験や先行事例から自らの生きる道を選び取ったひとつの結果が「退職」なのである。仕事との併用を選んだ女性なら、今ある社会的なサポート資源のすべてを活用して仕事を続ければいいのであり、実際にそうやって両立してきた女性らも過去に大勢存在する。もし、保育園や育児休暇などの設備や制度の不備ゆえに専業主婦や専業母親をやむなく選んだというなら、それは単なる言い訳に過ぎない。かなり大変ではあるが、仕事と育児の両立は工夫すればできるものである。
 また、「育児支援」というが、親にとって(特に母親)子供はいくつになっても子供である。子供は大人に近づくにつれ、幼い頃とはまた違った意味で「手がかかる」のだ。「育児」という言葉からはせいぜい就学前の子供というイメージしかないが、ではそれ以後はどうするのか?保育園まではなんとか両立できたものの、小学校低学年になるとしばらくはあっという間に下校してくるから、就学を機会に仕事をやめる女性が結構いることをご存知だろうか?いったん子供を生めば、一生ずーっと続くのが親と子の関係であり、母親は就学や進学などの節目節目で子育てと仕事の両立の困難さを噛み締めているのである。単に、たかだか6歳までの保育園やわずかな育児休暇など、少子化の原因の一部であっても全てではない。
 日本の少子化問題が根本的に解決しないのは、日本という国の必然性にある。母親不在の家庭に対し冷ややかな視線を投げかけてきた社会、型どおりの家族構成でないものを「欠損家庭」と定義づけた一部教育界、本当に頑張る人(この場合仕事との両立をしてきた母親)を認めようとしない習性など、少しでも多数派と「違っている」ことに対する偏見の感情が根っこにある限り、この現象は必然的に起きたものだといえるのだ。少子化傾向の最も大きな要因といわれる「女性の高学歴化」や「晩婚化」は、育児支援云々で解決できるものではなく、必然的現象の一環であり、未来の見えない現実として捉えるほかはない。くだんの少子化対策に関する有識者会議だが、男性メンバーのほとんどが働く女性の味方といった態度を取りながら、それぞれの家庭では我が妻に専業主婦を頑固に強制する事実をご存知か?これが現実、日本という国を象徴するこっけいな一面である。いったい誰が人選するのか知らないが、そんな無駄を続けるより、いっそ国も知らんぷり、行くところまで行け、の覚悟をしたほうが、個人個人が真摯にみずからの「対策」を考え、新たな展開が見えてくるかもしれないとさえ思えてくるこの少子化現象、誰の責任でもない、皆が受け止めなければならないひとつの「ニッポンの産物」だろう。

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