医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

4月8日~4月19日掲載
本当にやる気があるのか「C型肝炎対策」

 近頃、C型ウィルスにまつわる話題をよく耳にするようになった。もともと肝炎については、人を介して感染するという性質上、就職や結婚時の壁になったり差別や偏見を受けた人の声があがっていたりで一時注目されていたが、エイズの出現で陰に隠れてしまったという経緯がある。陰に隠してはいけなかったのに、むしろエイズも肝炎も同じ「感染症」の枠内で対応を進めていかなければならなかったのに、結局エイズだけが妙にクローズアップされ、肝炎対策は遅れに遅れてしまった。(現在の認識をふりかざして過去を検証しているのではない。

 私は早くからエイズも一病気であり、特別視することの危険性を言い続けてきた)ウィルス性肝炎には主にA型・B型・C型があるが、このうちC型ウィルスの感染機序解明が最も遅かったためにA型B型よりもその対応は遅れている。いうまでもなくC型ウィルスに感染するとC型肝炎に、B型ウィルスに感染すればB型肝炎を発症するが、いずれの肝炎もかなりの高確率で慢性の肝炎に移行し、ひいては肝硬変や肝細胞癌を引き起こす。肝臓は「静かなる臓器」と呼ばれ、痛みなどの自覚症状を感じることはないが、確実に進行を続けるところがかえって恐ろしい。多くの人は肝炎ウィルスに感染したことも肝硬変に移行したことにも気づかないままに、ウィルスはただひたすらひっそりと長い時間かかって肝臓を蝕んでいくのである。感染の有無は血液検査で判明するが、感染症であることが災いし、一般の血液検査に肝炎検査の項目はまず含まれていない。したがってC型肝炎であることがわかるのは、ちょっとした偶然の賜物である場合が多いため、肝硬変や肝臓癌予防が難しいのが難点である。たとえ肝炎になっていても、アルコールやタバコを控え、適度な休養を取り、定期的な検査を受けることが悪化防止につながる。肝炎と上手につきあっていくことは可能なのだ。潜在するC型肝炎感染者は200万~300万と推定されており、国は肝炎対策に重い腰をあげはじめた。

 しかし、それはいまだ手ぬるいといわざるを得ない。たとえば、平成13年3月、厚労省はB型およびC型肝炎検査を受けるよう、広く訴えた。「1972年から1988年の間に血友病以外の病気で非加熱血液凝固因子製剤の投与を受けた可能性のあると思われる方はなるべく血液検査を受けてください」という掛け声とともに、当時対象となる製剤を納入した医療機関を公表したのである。しかし、ここで期間と対象者を限定したことは果たして妥当であったのだろうか。確かに最も感染リスクの高い人々を明記したかもしれないが、このような表現は何か「特別な人」だけが感染するのだという"勘違い"につながった。C型ウィルス感染は、輸血や血液製剤の経験者のほか、「注射針や注射器を共有」した者らにとってもリスクが高い。つまり、現在30歳後半以後の年代層が経験しているように、予防接種や注射の際に針や注射器の消毒がきちんとなされていない医療環境にあった時代に生きた者はすべて肝炎ウィルス感染のリスクがあるはずだ。責任を問われるのを恐れているのか、感染者が掘り起こされ、検査や治療にコストがかかるのがいやなのかはわからないが、妙に対象や危険性を矮小化しているように思える。

 また、2002年の2月には事業予算として31億円を計上し、来年度から「C型肝炎ウィルス検診」の実施を決めた。精度の高い検査方法を導入し潜在する感染者の発見に努めるとしているが、しかしこれではエイズ検査経験の失敗が生かされてるとはいえない。何しろあれほど大騒ぎしたエイズであっても、「検査は保健所で、無料で」とそれなりに訴え続けたにもかかわらず、検査件数は年々減少し、一方でエイズ感染者は益々増加しているのだ。いくらタダでも、誰がわざわざ形式ばった役所や病院に出かけ、エイズや肝炎の検査を受けに行くものか。気取っている場合ではない。肝臓癌は特に男性で増え続けており、新聞の訃報欄を見ても若くして肝不全の病名で死亡する人が目立つようになってきた。検査ひとつにしても、遠いところで「待ち」の姿勢に徹するのではなく、みずから戸別訪問してその必要性を訴えたらどうだ。インターネットでも電話でも郵便でも使って、皆がその気になるよう積極的に検査を受けようと声を張り上げ、実績ある画期的な検査システムを活用したらどうだろう。先ごろ発表された報告によると、2000年~2001年の1年間に死亡した薬害エイズの被害者13人のうち、C型ウィルスが原因の肝疾患で死亡したのは何と7人にのぼったという。過剰なほどの手厚い取り扱いを受けたエイズ感染者の死因が、その陰の存在である肝炎によるものであったというのは何とも皮肉である。「責任を追及する」とは、いっさいの逃げ場を認めない嫌な表現だが、それぞれの担当者くらいはっきりさせたらどうだろう。誰もが知らん顔できるよう、省庁の人事システムにだけ危機管理が浸透している。実際これは、まともな国とはいえない。

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