医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

12月28日~1月21日掲載
どんどん失われる人間らしさ

 最近大学病院などを受診すると、廊下に設置してある自動血圧計を使い、患者らが自分で血圧を測定する光景に出会う。最初は正直驚いたし、今も少々不満に思っている。患者が自分で血圧を測ることは、待ち時間の活用にもなるし、看護婦らの多忙さを軽減できるし、血圧値への関心を高めるきっかけにもなる。白衣を着た医者や看護婦らに測ってもらうと、緊張のあまり血圧が上昇してしまう状態を白衣症候群と呼ぶが、その弊害を防ぐこともできる。しかし、看護婦らが診察の最初に血圧を測るねらいは、血圧値を知る、といった本来の目的以外に患者への言葉かけにあり、その日の顔色や皮膚の状態を観察するためでもある。要は、コミュニケーションの場、患者観察の場、として存在する医療行為のひとつだと思っていた。実際、血圧計のカフを上腕に巻きながら、「今日は寒いですね」とか「調子はどうですか?」、あるいは「まだ採血の跡が残っていますね、痛みはありますか?」などといった会話が交わされていたものだ。それが、自分で黙々と血圧を測り、診察室に呼ばれたら血圧値の書かれた用紙を医者に差出し、医者は何の疑問を持たずにその値をカルテに書き写すようになった。そこには、ごくごく簡略化された無味乾燥の会話しか成り立たない空間が生まれることにつながった。それでも、病院の、そこで働く人々の忙しさについては十分分かっているし、その他の場面でコミュニケーションが持てれば、血圧測定にそれほどこだわる必要もない、と「効率化」を優先した考え方もできるわけで、そう思うことで不満を抱きながらも何とか気を静めていたものだ。それが、ある新聞の記事を読んで、その不満が一気に噴き出した。その記事というのは、12月17日付の日経産業新聞で、システム開発のクレドシステムが、病院の問診自動化システムを開発した、というものである。

 記事によると、待合室などに設置されたタッチパネル付パソコンを使い、診察前に画面の指示に従って質問に答える。その回答が診察する医師のパソコンに転送されるため、電子カルテ導入によるデータ入力作業の軽減や診療時間の短縮に役立つ。質問内容は、既往歴や酒やタバコなどの生活習慣に関するもので、回答時間は約3分、価格は60~70万円程度だということである。はっきり断言できるが、このシステムは、現在人々が抱いている医療不信、病院嫌いを益々助長させることになる。ただでさえ、患者の体に触れもしない、顔を見もしない、検査データとカルテにだけ目を走らせながら、ろくに患者と話そうともしない医者が増えているのだ。コミュニケーションがうまく取れない若者らが、偏差値が高いことを主な理由に医者を目指す時代である。これではいけないと一部の医学部では、コミュニケーション学なるものを講座にいれ、ロールプレイに力を入れ始めてもいるが、学生も教える側も、机上の勉強だけでは到底追いつかないコミュニケーションの難しさに頭を抱えているのが現実である。いい医者とは、的確な検査をオーダーしたり、素晴らしい医学的発見をし立派な論文を書いたりすることではない。いい医者というのは、じっくり患者と向き合い、痛いというところに触れ、不安や痛みを抱える人々の心を思いやることのできる人である。それがすべての基本である。ところが、それらがどんどんおろそかになる一方で、医療技術だけが発達し、それに甘えすぎた結果がほとんどすべての医療不信の原因となっている。その上今度は、患者の顔色や表情と同じくらいに大切な問診を機械に任せてしまうという。もはやその発想自体が恐ろしい。

 解剖学者の養老孟司氏は、医学部を卒業したとき、さてどの科を選ぼうかと迷ったが、臨床医の母親から「臨床ほどむつかしいものはない。お前には早すぎる」と言われ、解剖医を目指したという。患者との、自分よりはるかに目上の、様々な人生を歩んできた人々と向き合うことの困難さを、彼の母親はよく知っていた。ITがもてはやされた時代はあっという間に終わった。「IT不況」の言葉も聞きなれた。私はずっと警告している。ITにだまされるな。機械に振り回されるな。医療や福祉分野における安易なIT導入は、患者の「得」に直結しない、と。目指すは、機械やロボットに囲まれる診察室なのか?もしそうであるなら、それを医療とは呼びたくもない。

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