医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

12月23日~12月27日掲載
外国人が見た、日本の医療の不思議

 知人のイギリス人は、日本に来て3年になる。互いの国の医療保障について話をしていたときのこと、皮膚に湿疹ができ、彼女が日本の病院を受診した経験が話題になった。日本で病院に行くのははじめてのことだった。親切な女医さんによる診察は、特に言葉の不自由も感じることなく終わったらしく、さほど嫌な印象は持たなかったという。しかし、不思議に思うことがあったと、言いにくそうに切り出してきた。まず、日本では患者は皆大人しく、医師の言うことをただ聞いていることが多いように思えた。彼女が、自分に突然できた湿疹に関して、その原因や今後の経過、処方された薬の詳しい内容を尋ねたときも、その女医はびっくりしたような表情をしてまじまじと彼女を見返してきたという。「なぜそんなこと聞くの?」とでも言いたそうで、思いがけない反応にそれ以上何も聞けなくなってしまった。その話題がきっかけとなって、彼女の日本人の友人が掌の手術をした際のことを、思い出したように話し始めた。何らかの事故のためにそれまで十分な握力がなかったのが、治療の末ほとんど元通りに回復した。知人のイギリス人が、どんな手術をしたのかと尋ねたところ、やはり当人は「知らない」というばかり。「何も聞いてない」、つまり医師任せであったということらしい。これにもびっくり。なぜ日本人は、自分の体のことなのに医師に何も聞かずにいられるのか。大事な手術のときでも、その前後に詳しい内容を確認することなく済ませてしまうのか。それで本当にいいの?イギリス人は日本人に似て少しシャイなところがあり、アメリカ人のようなフレンドリーな対応や考え方は苦手、でも病院では医師に確認すべきところはもっときちんと尋ねたり率直に意見を言ったりしているのに…。これが彼女の疑問だった。

 同じころ、似たような話を聞いた。ラジオでビジネス英会話の講座を聞いていたときのこと。今回のテーマは、「セカンド・オピニオン」について、であった。この中では、最初の診察で「進行がん」と診断された人が、別の医師の診察を受けたところ、がんではなく良性のものだからこのまま様子を見てもいいと言われた、というシチュエーションが設定されていた。最近日本でも、最初の診断結果だけを鵜呑みにしないで、違う医師の診断を受けることを指して「セカンド・オピニオン」と呼ぶようになったから、この状況自体はそう珍しくもない。問題はここから。ここでは、診察を受けた人は日本人、その友人がアメリカ人、ということになっている。アメリカ人なら、セカンド・オピニオンで言われた内容が最初の診断結果と違っていたら、最初に診察を受けた医師にきちんと告げる、というのに対し、日本人は「そんなことできない。セカンド・オピニオを求めたことがわかると、最初の医師は気を悪くして怒るかもしれない」と話すのである。するとアメリカ人は、「でも、最初の診断とセカンド・オピニオンと、どちらが正しいのか、ありのままを両医師に告げ、改めてそれぞれの意見を求めないとわからないじゃない?」と述べるのである。英語レッスン用の会話とはいえ、なかなか興味深いものであり、考えさせられてしまった。知人のイギリス人の疑問も、ラジオから流れる英会話に含まれる内容も、日本(人)の医療の根源的な課題を示しているかのように思えた。

 そうなのだ、なぜか日本では、医師の存在や診断をたやすく絶対視してしまう傾向が強く、率直な疑問や意見を口にすることを阻む「何か」が存在している。中には患者から発せられた質問に対し「そんなことアンタは知らんでいい」と怒る医師もいまだ多くあり、どうしても肉体的精神的に弱い立場にある患者をさらに萎縮させてしまうのだ。特に、日本ではそれが顕著であり、そういった精神性が根っこにあることで「セカンド・オピニオン」「インフォームド・コンセント」などの外来語が、言葉ばかりでその概念はちっとも現場に定着していかない状況が生まれており、これはけっこう厄介な事態ではないだろうか、と思う。ここで私が「精神性」という用語を用いたのは、そのような「医師任せ」の現実が「習慣」とか「伝統」というよりも、個々に潜む「卑屈さ」や「権威に対するへつらい」に基づいている気がするからである。そのくせ、患者らは陰で医師や病院の悪口を滔々と愚痴る。医療に関する電話相談に寄せられる内容の多くが、現在かかっている医師らに対する不満で占められるといわれるが、この形容し難い暗さは、昨今巷でいわれる「閉塞感」と決して無関係ではないのだろうという気がしてならない。知人のイギリス人が抱いた冒頭の疑問に関して、ここに記したと同じ内容を英語で説明できるだけの自信がなかったために、日本の医療はパターナリズムに支配されているから、と答えるにとどまったのだが、残念ながらこの回答では十分ではない。確かなことは、ITだの電子カルテだのといった技術が進歩したところで、このような現実がある限り、日本の医療の将来は明るくない、という行き場のない気持ちだけが残ったことである。

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