医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

11月13日~11月26日掲載
なんだか不愉快になるKUMONのコマーシャル

 小学校中学年から高学年の子らが数人登場し、つぶやくようなナレーションが流れるCMがある。「どうして勉強しなくてはいけないのですか」「好きなことだけをするのはいけないことですか」「私は何を勉強すればいいのですか」などなどが彼らのセリフである。バックに派手な音楽が流れるわけでもなく、有名人が姿をみせるのでもなく、どちらかといえば地味な部類に入るものかもしれないが、印象は強く残る。おそらくこれを見せられたとき、多くの家庭で子供たちは「そうだそうだ」と同調し、親は言葉が出ずにあたふたとしてしまったのではないだろうか。時には、「ほーら、だから俺ら(私)は、勉強する気になんかならないんだよ」と、勉強しないための免罪符にすり替えてしまう子供もいることだろう。私も2回このCMを見た。1回目は何気なく、しかし、2回目には何やら気分悪く。KUMONというかなり大手の塾によるCMであるから、単純に考えれば、「KUMONに来れば」楽しく勉強ができるようになるよ、効率的な学習法を伝授するから好きなことと勉強を両立することができるよ、あるいは目的意識を持ってやればちゃんと成績はあがるよ、ということを言いたいのだろう。今や学校の、受験に対する影響力はすっかり地に落ちた。成績の悪い子には教師みずから「塾に行け」と言い放つことは稀ではないし、塾講師の教える技術を身につけようと教師たちが塾通いする風景も決して珍しいことではない。しかし、私の不愉快さはそういった日本教育のテイタラクな有様への怒りもさることながら、そう発言する(させる)ことの「贅沢さ」に無頓着な子供や大人たちに向けられるものである。

 その内容はともかくとして、日本ほど誰もが等しく、そして安く教育を受けられる国はそうあるものではない。義務教育の普及と定着のみならず今や高校進学率は90% を超え、大学でさえ誰もが入れる時代となった。何しろ少子化のあおりで大学の統廃合が積極的に進められようとしており、今でも少ない受験生の奪い合いに躍起になっている状態である。しかも学力がどんどん低下しているため、大学入学後に改めて高校レベルの授業を補講として行わないといけない、との話も聞く。一方学生は、大学に入れば皆それまでの鬱憤を晴らすかのように思い切り遊びまくり、勉強や研究などに力を入れるつもりはさらさらないのだと公言する学生も多くいる。教育システム自体は立派かもしれないが、その内容は極めてお粗末、挨拶ひとつできない中途半端な大人を大量に生み出してもいるのだ。いったい教育のありがたさをこれほどまでに忘れてしまったのはいつからだろうか。世界の多くの国では午前か午後にだけ学校へ行き、残りの半日は家の手伝いをするのが普通である。フィリピンしかり、ベトナムしかり、ブラジルしかり、だ。それでもまだ学校へ行ける子はいいほうで、どの国にも貧しくてそれどころではない子がごまんといるし、ペルーでも同様に、ある程度お金がないと小学校へさえ行くことはできないときく。最近身近に目にするところでは、アフガニスタン周辺の難民たちはその日その日を生きるだけで精一杯、といった有様である。先進国の代名詞であるアメリカでも、言葉や人種の多様さから、日本のようにすべての子供たちが等しく教育を受けるのは結構難儀なのだ。そのような世界の現状を少しでも知っている人間は教育界にいないのだろうか。学べる喜びと贅沢をきちんと伝えられる大人は日本にはいないのだろうか。

 「なぜ勉強しなくてはいけないのですか」という質問は、「なぜ人を殺してはいけないのか」と問いかけられたときの驚きに通じるものがある。これまでの習慣でインテリほど理屈や科学的に説明しようとするが、この種の質問には根拠だとか回りくどい説明などはいらない。「そんなこともわからずにいったい今までのお前の人生はなんだったのか」と心からの怒りと哀しみを持ってビンタのひとつも与えればいいのだ。わからないなら、わかるまで自分で考えろと突き放せばいいのである。問題は、それができない大人や教師側にあり、だからこそ余計子供たちは、社会や大人や世の中の仕組みや常識を舐めてかかるのだ。KUMONのセリフに安易に同調してしまうのである。「なぜ勉強しなくてはいけないのか」―私が、あえてこの問いに答えるとすれば「生きるため」と言うだろう。自分に与えられた貴重な人生を無駄にしないよう、みずから知恵を蓄え徳を積み、流れていく時代にあって尚確固とした自我に身を預けることのできる人間になるための研鑽を重ねること、そのために一生かけて勉強をし続けることが人間の義務なのだと答えるだろう。日本は世界で孤立している。それは、ひとつには世界を観る目や経験したことから何かを学び取る感性を失ってしまったせいなのだ。そう思いつつこのCMを反芻するたびに後味の悪い暗い気持ちから逃れられないでいる。

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