医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

10月29日~11月12日掲載
心まで画像診断ですか?

 1ヶ月ほど前に、中日新聞(東京新聞)紙上に「がん患者の心 画像診断」の記事が大きく掲載された。読んですぐに強い違和感を覚えたものの、きちんと考えることなくそのままにしておいた。でも今、やはりとても気になるので、自分なりの考えを整理したいと思う。まず、この記事の内容を簡潔に説明する。記事は、東北大学などの研究グループによる研究結果の紹介である。端的にまとめれば、ドイツの大学との共同研究により、がん患者の脳で糖代謝の低下が起きており、それが患者の心理状態と密接な関係があることを突き止めた、というもの。まず、研究結果は二段階に分かれており、ひとつは、がん患者と良性疾患患者との比較で、がん患者の脳では、大脳辺縁系と前頭葉皮質の代謝が十数%低下していることがわかった、とのこと。ふたつめは、がん患者の心理テストの結果、抑うつや不安の度合いが大きいほど代謝の低下が激しく、双方の間に強い相関関係があることがわかった、というものであった。そして、これらの結果からどういった結論を導いているかといえば、代謝低下を心の状態の指標にすることで、がんの進行や治療による患者の心の変化を追跡できる可能性があるとし、研究担当者は「これまで患者の悲しみや苦しみは推測するしかなかったが、近い将来、脳画像で客観的に評価できるようになるだろう」と述べている。さて、皆さんはこれを読んでどんな感想を抱くだろうか。私の場合、読めば読むほど頭の中に「???」が渦巻いた。記事全体がポジティブな印象に終わってしまっているが、私は最初も今もこう考えている。「何でこんなことしてるの?」、そして「なぜこれが記事になるの?」…。まずは、研究対象が10数例と圧倒的に少なく、相関を見るにしろこれでは話にならない。疫学者の故平山雄氏は生前こう教えてくれた。「比較研究の症例数は200で充分。それ以下ではいけないが、それ以上の必要性もまずない」と。また、がん患者の不安や葛藤、恐れ、焦燥、絶望…このような心の動きが脳代謝と関係するという結果。そうでしょうとも。それは充分に予想できたことである。もしも、ショックを受けたがん患者の心の動きが脳代謝と何の関連もないといった結果が出たなら、むしろその時こそ報道する価値があるのではないだろうか。がん患者の悲しみや苦しみを推測する能力が、多くの医師に欠落しているからこそこういった研究が持てはやされるのだと思う。だとすれば、それは何と悲しいことだろう。人々は皆、相対する人の心の動きを推し測りながら生きている。それが互いを思いやったり感情を共有することにつながるのである。時に感情の行き違いで気まずい思いをすることもあるだろう。しかし、人間関係とはそういうものだ。それは、わざわざ改まって「画像診断で評価」する類のものとはまったく次元が違う。医学教育では、基礎研究に力が注がれ臨床研究がおろそかになりがち、との批判をたびたび耳にする。臨床研究には、患者とのコミュニケーションを研究する機会が多少はあるはずだが実際はどうなのだろう。コミュニケーションといった非科学的な分野は驚くほど軽んじられているのが現実ではないだろうか。そもそもコミュニケーションを「科目」としてとらえねばならないこと自体に現代社会の問題があるのかもしれないが、その種の分野をおろそかにしてきたツケは相当に重い。

 さておき、何もかもがマニュアル化され、合理化の波に飲み込まれがちな現実のなかで、がん患者の感情や脳代謝を画像で診断するという、最もマニュアル化してはいけない分野までもがこの体たらくでは、何をかいわんや、とあきれ果て、むなしい思いでいっぱいになってしまった。もうひとつは、なぜこれが記事になるのか、という点。記者自身の意見やコメントは紙上では明らかになっていないが、よくある傾向として、大学や海外の大学・研究機関が行った研究というだけで、その内容を吟味せずに、またはいい意味での批判精神なしに掲載してしまったということはないだろうか。新聞社内の事情はよくわからないが、専門的なものを扱おうとすればそれなりの経験と研鑚が必要となってくる。そうでなければ記事など書くこともできないし、疑問や課題について問いかけることもできない。しかし、実際そのような常識は今も生きているのだろうか。現在の新聞報道は、とかく大企業や大学、名の知れた施設や人物に偏り勝ちであり、本来のジャーナリズムとしての刃はほとんど錆びついたり丸くなってしまっている気がする。「権威」に弱い体質は依然として続いているが、いい加減体質改善し、本来の報道の意味を問う厳しい姿勢はマスコミサイドにこそ必要なのではないかとつくづく考えてしまった。

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