医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

10月1日~10月18日掲載
厚生行政の痛みはどこにある?

 9月26日付の各新聞には、いずれも「医療費負担増」「高齢対象年齢引き上げ」「サラリーマン3割負担」の文字が躍った。構造改革の一環として、厚生労働省が2002年度からの実施を目指す医療制度改革の試案を公表したためである。試案の内容を簡単にまとめると、

 1.高齢者医療制度の対象年齢を段階的に現行の70歳以上から75歳以上に引き上げ、患者窓口負担を1割に統一する。
 2.サラリーマン本人の窓口負担を現行の2割から3割に、70~74歳は1割から2割に引き上げる。
 3.医療機関に対しては、診療報酬の見直し、老人医療費の伸び率管理制度を導入し、超過分は医療機関が負担する。

などである。こういった動きに対し、どの新聞も「痛み分け」という表現を使っている。来たるべき高齢社会に備えようと、医療制度改革については散々議論されてきたが、今回は「国民」と「医療機関」の負担がそれぞれ増えることで、何とかバランスをとったつもりでいるのかもしれない。いつもそうだが、アメとムチを巧みに使った政策はお手の物、今回もこういった痛みは伴うにしろ、一方で負担が減り、患者にとっては「メリット」あるいは「恩恵」であるとし、以下の項目が同時に挙げられている。

 (1) 3割未満の乳幼児の窓口負担は3割から2割に
 (2)患者が治療法を選択する権利を保障するため科学的根拠に基づいた医療(EBM)を推進
 (3)生活習慣病を予防する「健康増進法」制定
 (4)医療のIT化(レセプト電算処理の推進、電子カルテのモデル事業)
 (5)薬剤費別途負担の廃止

 厚生労働省には申し訳ないが、これらは「アメ」というには甘くもおいしくもなく、国民としてはちょっと受け入れがたい。まず、(1)について。誰もが知っているとおり、日本は稀にみる「高齢・少子化」が急激に進んでいる国である。今回医療制度改革の発端と根源的な問題は「高齢者の医療費を誰がどう負担するか」という点にある。それなのに、増え続ける高齢者に負担を求める一方で、逆に少なくなる一方の乳幼児の負担を1割減らすことにどれだけの意味があるというのだろう。少なくても国民は「ありがたさ」を感じない。(2)のEBMについては、それ自体どうとらえるか、「科学的根拠に基づいた医療」と聞くと、なにやら素晴らしいもののようだが、それが「患者が治療法を選択する権利を保障」するようになるには、少し理想を追い過ぎの感があり、いかにも抽象的でわかりにくい。EBMに関しては、改めていつかこの欄でじっくり考えたい。(3)の新法律制定は、内容が分からないと何とも言えないが、社会保障改革とは国民にとっては「自分の財布からいくらお金が出ていくのか」という現実の話にほかならず、法制定の発想は「だからどうした」の感情しかわかないし、個人の健康管理と法律の組み合わせは、国民に誤解を与えかねない。(4)の医療のIT化に関しては、この欄でいつも強調するように、IT化は「患者のため」「医療の質をあげるため」として作用しない。何より、病院側にさらに負担を求めておいて、インフラ整備にお金がかかるIT医療を要求するのは酷であるし、あまりに非現実的である。それともお得意の方法だが恐らく「モデル事業」として位置づけ、厚生労働省からいくばくかのお金を出す予定でいるのだろう。しかし、「事業」として取り組んだ後、その他大勢の「非モデル医療機関」に対してはどうするつもりだろうか。(5)は、1997年秋に外来の薬剤費の別途負担を求めた方法の廃止、ということ。負担は減るかもしれないが、ではなぜ今廃止なのか? 「医薬分業」と大上段に構えての実施だったはずなのに、あまりに簡単すぎる廃止については、納得できない。これは単なる「アメ」だろうか? ここは詳細な説明を要するところだ。安心はできない。「痛み」は小泉内閣の改革のキーワードであるし、このような経済状態ではある程度仕方がない。しかし、批判の声として今回の改革試案が「将来にわたっての医療ビジョンが見えない」こともさることながら、厚生行政側の「痛み」についてはどう考え、それは今回どこに見出せるのか?厚生労働をつかさどる省庁やレセプト管理をする特殊法人の社会保険診療報酬支払基金の組織としての改革はいつどんな形で行われるのだろうか。それとも厚生行政がらみで働く人々は痛みを分け合う「国民」としては位置づけられていないのだろうか。特殊法人の民営化については、省庁の抵抗強いことが散々報道されている。まさか自分たちは抵抗したまま温存したままで、国民と医療機関に対してだけ痛みに耐えろと手前勝手な注文をつけるつもりなのだろうか。「ムチ」は非常に具体的だが、比較すると「アメ」のほうは「医療の質向上」に集約され、ぐんとあいまいになっている。いまだ「試案」であるから、今後の動向を見守るしかないが、どうも負担のバランスがとれておらず、安易に弱者に負担を求めただけであり、結果的に国民が、国への不信を抱きつつ損するように思えてならないのである。

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