医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

6月19日~6月25日掲載
医療の専門家達のジレンマは深い

 医療に縁の薄い人々は、医学や医療というものは何でもかんでも医者がやっているのだと思いこんでいることがあり、時々びっくりさせられる。検査やそれにまつわる機器、新薬の開発にいたるまで、すべてが医師の手によるものだと思っていたり、医学部のカリキュラムには「看護学」がないのを知って驚いた、と言う人もあった。医療の専門家に対する認識がその程度だということを、医療に携わる人間こそおおいに反省すべきなのかもしれない。

 6月1日の「Medical&Test Journal」に、「病院検査部内に"臨床検査相談室"の設置広がる 診療側のバックアップ進める」の記事を読み、何とも不思議な気持ちにかられた。これは、一部大学病院で行われている試みで、一言でいえば病院の検査部で「病態に応じた適切な検査オーダーなどのコンサルテーション」を行うことにより、無駄な検査を回避し、診療や病院経営を支援しよう、というものである。相談にのるのは専任の技師であり、この動きは、単なる検査データ製造中心からの脱却を目指す臨床検査技師から熱い期待を寄せられているという。慶応大学病院の場合には、月に約300件以上の相談件数があり、90%は臨床医からのもので、検査そのものに関する質問や疑問、オーダーしようとする検査の可否や項目の選択に関するもの、検査結果の解釈についての相談が多い、とある。

 検査の専門家は臨床検査技師であるが、検査の指示を出すのは医師である。その際に、検査の意義や病態との整合性、結果の解釈などの分からない点を、検査技師に相談し、適切なオーダーが出せるよう支援を求めるわけである。検査は臨床検査技師が、薬については薬剤師が、それぞれの専門性を生かして業務に励むのが当たり前であるから、こういった動きは大賛成である一方で、ならばこれまでは、その種のことがほとんどできていなかったのか、ということに自然な驚きを覚えるのだ。病院内には、多種の専門家が働いている。法律上、何をするにも医師の指示が必要になるために、一見医師は何でも知っており、何でもできるかのように見えるが、その影には高い専門性を持った医療のプロが存在し、様々な形で医師をサポートしている。他の医療職の中には、医師に責任と権限が集中していることに関して何がしかの不満を持ち、もっと自分たちの専門性を発揮できる場はないものか、とジレンマを覚える者もある。先のニュースに関して、臨床検査技師の期待が高いのは、その思いを反映してのことだろう。しかし、全体の構図はそう簡単には変わらない。責任と権限が重いがゆえに、医師は日々勉強に努め、文献などを通して新しい医療情報を把握し、あらゆることに精通していなければならない。他の医療職に質問されたことには、何でも答えなければおさまらないかのようである。したがって、医師の知識力や学習能力は自然と高まり、その責任や権限は益々膨張し、冒頭に示したような誤解を与えることになる。一方で他の専門職は、学校を卒業し国家試験に合格しても、最終的な責任が薄いためにさらに勉強し研究しようという意欲におのずと欠けてしまう。怠けていても資格はあるので、その名のもとに仕事をすることはできる。

 しかし、場合によっては医師の指示に従うばかりで、医師のサポートというよりも単なる小間使い的な存在に終わってしまうこともある。責任がないという気軽さゆえに、次第に働く喜びも乏しくなってしまう傾向さえ生まれる。患者のケアは、複数の医療職がチームを組んで取り組むのが最も望ましいといわれる。その人らしい生活ができるよう援助する看護婦、投薬の説明と責任を担う薬剤師、適切な検査を行う検査技師、病状とADLに合った食事の献立を考える栄養士、経済的な相談にのれるソーシャル・ワーカー、的確な診断と治療に励む医師…。さらに病態に応じては、理学療法士や作業療法士、言語療法士などがひとりの患者に関わりを持ち、相互に相談しつつサポート体制を作っていく…、そんなあり方が理想ではあるが、それがまた難しく、各専門家の縦割りの中で患者が右往左往しているのが現実の姿である。あまりに医師の権限が強すぎて、例えこのようなサポート体制ができたとしても、医師以外の専門職は、医師に対してきちんと意見を述べることができない状況があり、ただ素直に指示に従うことの楽さに甘んじてしまうのだ。ニュースの続きとして、病院内の「臨床検査相談室」設置は歓迎すべきことだが、院内では予算がつけられずどこまで継続できるかどうか疑問であること、基本的な検査相談は検査技師が、具体的な病態がからんだ相談は検査部の担当医師が行うべき、とのコメントがある。患者にとって「いいこと・当たり前のこと」がコスト面で難航しているのは残念であるし、相談を受けるに際して、ちょっと難しいことになるとまたすぐ医師を登場させてしまうのでは、臨床検査技師の専門性と精度を高めようとする気持ちに水を差す。これでは元の木阿弥であり、結果的に何も変わらない。院内「臨床検査相談室」設置が、患者優先の発想から生まれたのではなく、検査点数の引き下げなどから来る院内収益部門の維持に対する危機感を前提にした対策であり、最終的には病院経営の視点からでしか論じられていない点は気になる。顧客(患者)満足と働く人々の意欲を軽んじるような試みは、決して成功しないだろうと思っている。

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