医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

専門家と素人のギャップ

 医療分野の専門家の代表は医者であり、対する非専門家(素人)は患者ということになる。治療の段階においては、医師の存在は絶対である。法的にも知識の豊富さの点でも、患者より医師が上位に存在し、患者は甘んじて下位の立場にある。現在の医療の専門性は一昔前とは格段に異なっており、その複雑さや進歩の速さには専門家である医師でさえついていくのがやっとである。患者も難しいことを勉強するより、医師任せにしておくほうがはるかにラクなのは確か。「患者中心の医療」が現実味を帯びないのはむしろ当然かもしれない。しかし、同じ医療でも予防の分野ではあくまで主役は個人ひとりひとりである。予防においては「患者」ではない。生きて生活する一社会人として、日常のなかでバランスよい食事をこころがけ、運動に親しみ、ときにサプリを楽しんだりする。

 ところが、小手先の医学が進み、遺伝子研究などミクロな分野が重宝されるようになると、予防の分野にも専門家が介入するようになった。先日の日経新聞の連載記事「なるほど予防学」のなかで国立がんセンターの予防研究部長が乳がんについて触れていた。いまや乳がんは女性にとってもっとも興味深いがんのひとつである。これまでの疫学研究から、乳がんになりやすいタイプがあげられており、その予防について解説をし、乳がん発生に関わるエストロゲンの働きを阻害するホルモン療法への期待を述べている。確かにホルモン剤を予防的に投与する試験はかなり前から乳がんの多いアメリカで進められてきた。

 しかし、これもよく知られていることだが、確かにホルモン療法は乳がんのリスクを低下させる一方で、子宮体がんの発生を増加させることもわかっている。その事実を紹介した後で、乳がんの予防について以下のようにまとめている。「…予防の場合には、乳がんのリスクを抑えることと、新たに発生する子宮体がんリスクのどちらかを選ばなくてはならない。そのような高度な決定のためには、十分に、納得できる判断材料が必要になる」この結びは、素人にはわかりづらく、また奇妙に映る。もっと言えば、専門家の勝手な押し付けのように聞こえる。さらにいえば、どちらもあくまでリスクに過ぎないのに、あいまいさを残したまま目の前に並べ、わざわざ「高度な決定」と定義づけることで、専門家の立場でしか情報提供していないうさんくささが感じられる。右と左があって、いずれも決定的なリスクとして位置づけることは困難ななかで、いまだあやふやな医学という科学もどきで判明した事項だけで、どちらかを選ぶことは不可能である。治療ならわかるが、話は患者対象ではない、あくまでリスクを抱える一社会人である。

 疫学研究で解明されたことの多くは、集団を調べている場合が多く、それを個人へ視点を移して判断するのは、たとえ医師であってもそれこそ大きなリスクを伴う。遺伝子研究でさえあくまでリスクをみているのであって、遺伝子というミクロを見つつ全体を把握する作業はほとんどなされていないのである。予防の分野で現在わかっている医学的事実を適応することは難しい。相手は患者ではないからであり、予防とは社会生活や個人の価値観や人生と深く深く関わってくるからである。専門家といえども、主役が国民ひとりひとりである予防の分野に安易に関わるべきでないように思う。それでも、というなら、主役は誰かという認識をしっかり持つことが必要であり、その意識がないとかえって迷惑がかかり、新たな被害者を生むことにつながる。

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