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1月22日 "病気"を考える 2 将軍吉宗に見る健康法と晩年(上)

将軍吉宗に見る健康法と晩年(上)

 「人生五十年」の名言を吐いたのは織田信長であるが、実際江戸時代初期の日本人の平均寿命は30歳そこそこで、19世紀の江戸末期にも30歳後半とひどく若かった。
 しかし、平均はあくまで平均なので、当時から今で言う「高齢者」もそこそこ存在していた。
 1805年、鳥取藩では80歳以上の領民に祝い金を下賜しているが、その数なんと4162人、同藩全人口の1.5%強を占めるものであった。
 また、1843年には江戸で90歳以上の高齢者34名に褒美が与えられているが、その中には最高齢者102歳の記録がある。平均寿命は今の半分以下でも、思ったより多くの高齢者・長寿者があったことにいささか驚かされる。
 暴れん坊将軍で知られる八代将軍徳川吉宗は、豪快で大胆、卓越した体力を持った人物としてさまざまな伝説が残されている。この吉宗について、彼の健康法とその晩年を新資料から拾い上げ読みやすく紹介したのが氏家幹人氏の「江戸人の老い」(PHP新書)である。
 それによれば、吉宗はたいそうな酒好きであったが、その飲み方は決して乱れず騒ぎすぎずで気持ちのいい酒であったこと、美食家でもあり甘いものも大好きだったこと、そして鷹狩などのスポーツに長け、タバコは大嫌いであったことが著されている。
 さらに特筆すべきは「薬」が好きで、自分でも調合をし、みずから服用するとともに、側近や大奥の奥方らにも分け与えたということである。
 吉宗は、今でいう民間療法の熱心な研究かで、ほとんど輸入に頼っていた朝鮮人参や薬草などを日本で栽培する事を奨励したばかりでなく、日本の医師に命じて海外の文献を取り寄せ、「普球類法」という家庭医学本を1729年に編纂させている。
 この本は高価な薬を手に入れられない庶民を対称に作られたもので、値段も比較的安く設定されたために広く人々に読まれたといわれる。こういうあたりが吉宗の人気の所以でもあるのだろう。
 このような吉宗にも老いと病は確実に訪れた。「64歳に中風で倒れた」との記録を氏家氏は発見する。
 1747年~1750年にわたってつづられた吉宗側近の手による「吉宗公御一代記」を紐解くと、一度倒れた吉宗の病後の様子は、右半身麻痺と言語障害が残り、元気な頃の面影は失せていた、とある。
 中風とは、つまり脳血管障害である。それほどの人物であっても、病気に倒れるのだという当たり前の事実を改めて思い知らされる。
 言語障害は、トップリーダーにとっては致命傷だ。かつて今太閤の名で知られた田中角栄氏も、脳梗塞で倒れた後に半身麻痺と言語障害が残り、その姿はテレビで何度も映し出され、そのたびに憐れみを誘った。
 そういえば、角栄氏も晩年はかなり酒量が増えていたと聞く。国民に人気があり豪胆で大胆なところなど吉宗との共通点もあると思うが、角栄氏の場合はバセドー病も患っており、意外に神経細やかであった様子も伺える。
 ともあれ、吉宗は68歳でこの世を去るまで、障害を抱えながら手厚い介護を受けているが、その様子は次回に紹介したい。

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