Production著作/論文
コラム「がんについて」コラム「がんについて」の連載。
「痛みを察する」ということ
がんの痛みについて続けて書いているが、今回の「痛みを察する」というのは、がんの痛みのみならず、心身を病んだ人々のケアに際して極めて重要なことだと思う。
歯や頭の痛みというのは、ほとんどの人が経験しているからそれがどういうものだかをある程度察することができる。
しかし、コトがんについては、がんになった人にしかその痛みや苦しみはわからない。
何事も自分が経験したことしか理解できない性質の人はあまり賢明な人間とはいえない。がん患者をケアするためには、やはりがんの痛みを「推し量る」あるいは「察する」能力が必要となってくる。
学研から出ている「がんのことがわかる本」では、医師が患者の訴える痛みを把握するために使う「痛みのものさし」が紹介されている。
目盛りのあるものさしの左端を「痛みなし」、右端を「最悪の痛み」とし、患者に今どのくらい痛みがあるのかを示してもらうことで医師が量的な痛みを把握しようとするものである。
また、痛みを火山の噴火になぞらえたうえで、1.痛くない、2.少し痛い、3.かなり痛い、4.耐え切れない、の1~4段階に分類しそれぞれを絵で表す方法もある。
患者に、この絵の中から自分が感じている痛みの度合いを選んでもらおうというわけだ。火山の絵は、1.がただの山、2.は火山活動が始まったところ、3.は火山が爆発、4.では大爆発、というようなイメージで描かれている。
言葉プラス視覚的な表現によって互いのギャップ、つまり患者にだけ認知されている情報(痛み)を医師や看護婦と共用しようという狙いだろう。
医学的生物学的な「痛み」を含む哲学的「痛み」のあれこれについては、パトリック・ウォールの「疼痛学序説」(横田敏勝・訳)に詳しい。
この中で、レーガン元大統領が9mmの銃弾を胸に浴びた時の様子を描いた箇所がある。それによれば、レーガンは銃撃の瞬間痛みを覚えず、事件の現場から走り去る車の中で胸腔内へ出血して失神するまで、撃たれていたことを知らなかったと述べている。
また、別の事例として、筆者が、第四次中東戦争のときに負傷し四肢を切断された兵士ら73人を調べたところ、傷を負ったときに痛みを感じたのはごくわずかであり、ほとんどの兵士がそのとき感じたのは「怒り」であったことがわかった。
それは「あそこへ行かなかったら」「あの家へ入らなかったら」(…こんなケガをしなくてすんだのに)という自分自身に向けてのものであった。
こういった突発的な痛みと、がんのように非突発的な痛みとを簡単に比較することはできないが、いずれも本人のそのときに置かれている状況に大きく左右されるようである。
ものさしや火山の絵を利用してがん患者の痛みを察する試みはもとより、それを受け止める側の洞察力や冷静さ、優しさなどがあってはじめて痛みを「共有」できる関係性に近づき、より効果的な治療に結びつくのだろうと思う。