医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

Production著作/論文

コラム「がんについて」コラム「がんについて」の連載。

8月14日 「がん」について 39
告知“アメリカ型”へ変化

 名古屋大学病院の医師や看護婦らによる有志団「メンタルサポートを考える会」が、院内の医師ら397人に「告知」に関するアンケートをおこなった。
 その結果、「告知したことがある」は83%、「ない」が14%で、告知経験のない医師は非常に少ないことがわかる。
 一方で当然のことながら、告知する側にしてみれば、告知にまつわる悩みや迷いが常につきまとって離れない。告知後、患者の自殺やうつ病、ぼけの発症の他、家族からの非難を受けた、信頼関係がなくなった、などの苦い経験をした医師もあった。
 告知に関する世界的な動向をみると、アメリカや北欧、イギリス、ドイツは、がんが進行していたり転移している状態であっても告知を積極的に行う傾向があり、逆に東欧は告知に積極的でなく、まして、転移がんでは告知しないことがほとんどである。
 アメリカでも1960年代は「告知をしない」医師が「告知をする」医師よりも圧倒的に多かったという。
 日本は、東欧型からアメリカ型へと変化をしてきているようだ。
 川崎医療福祉大学医療福祉部の加藤 雅子さんの調査研究によると、日本の告知が進まなかった理由は二つあげられる。
 そのひとつは、日本の医療が「ほどこし」からスタートしたために、現在にいたるまで医師の立場が圧倒的に強く、患者の自己決定権が育たなかった、というもの。
 ふたつめは、がんが死にいたる不治の病であることから、もともと「死」を意識せずに人生を送ってきた人間にとって告知は「死の宣告」に等しく、家族らへの影響も考慮し積極的におこなわれなかった、というもの。
 それでも、冒頭のアンケート結果にあるように、最近は治療をスムーズに行うためにも早期がんならほとんど告知していることが多くなっている。医師や看護婦ら医療の専門家たちは、告知に関する具体的な教育を受けていない。
 この事実だけでも、いかに日本の専門家育成教育が偏ったものかということが推測できる。
 まして、今や昔と違い、ヒトの「死」に直面する機会がめっぽう少ない。
 身内のほとんどは病院や施設で亡くなるために「死」はずいぶん遠いところに存在している。おそらく自分たちより2倍も3倍も年上の患者たちに対し、突然、死を意識させるがんの告知をすることはさぞかし苦痛だろうと思う。
 加藤さんがあげた、日本で告知が進まなかったふたつの理由は、いずれも急速に変わりつつある。
 加えて、ふたりにひとりががんにかかる時代がすぐ目の前だ。
 文明が発達し、豊かになれば、命も永遠であるかのようにして「死」を遠ざけ、目を背けてきたツケは大きい。
 医師の教育も大事だが、いつ「そのとき」が来てもいいように、1日1日を大切に生きていこうとする厳かな心構えのほうがもっと大事だと思う。

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