医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

Production著作/論文

コラム「がんについて」コラム「がんについて」の連載。

5月8日 「がん」について 25
膵臓がんを克服して

 膵臓がんは、他の消化器がんに比べて早期発見が難しく、治療も困難であり、なかなかやっかいながんであることを説明した。
確かにそれは事実であるが、一般論には必ず例外があるものだ。
 膵臓がんを治療して復帰した方が身近にいるので、彼についてはエールを送る気持ちをこめて紹介したい。仮に膵臓がんで入院なさったかたをAさんとしておこう。
 ある日、Aさんが人づてに聞いた。
 その前の年にやはり膵臓がんであっという間に亡くなった方を知っていたので、聞いただけで暗い気持ちになった。
 どちらも現役の医者であった。もう2度とお会いすることはないかもしれない、と思って見舞いに出かけた。
 手術後1ヶ月以上経過していたが、いったいどんな具合だろうと恐る恐る病室をノックした。
 ベッドに横たわるAさんは、別人のように痩せて、ひと回りもふた回りも小さく見えた。横になったまま、長いこと仕事を休んで申し訳ない、と頭を下げた。
 しかしその次には、「あと2ヶ月くらいしたら、(仕事に)また行きますから」とおっしゃるのだ。
 正直、Aさんに2ヶ月先が来るとは思ってもみなかったので、その言葉には何と答えていいかわからなかった。
 もちろん自分の病気のことはよくご存知である。「お大事に」という月並みな見舞いの言葉を残して、その場から逃げるようにして帰るしかなかった。
 そして、それから2ヶ月後、本当にAさんは職場に姿をみせた。もともと非常勤の立場であったし、ノルマのきつい仕事でもなかったために、ただやって来たという感じだった。
 さらに痩せてはいたが、杖を使いながらでも自力で階段を上って来るAさんを見て、悪いが幽霊かと一瞬思ったほどである。
 「膵臓がんでね、膵臓はほとんどとっちゃったよ」と陽気に話し、笑顔は元気な頃のままであった。
 次にお会いした時は、杖なくして歩くことができ、顔色には赤味がさしていた。
 長身である上にさらに体重が落ちたために、ワイシャツを着ていても首が泳いでしまうほどであったが、それも気にならないかのようで、人と会話がしたくてしょうがない風にみえた。
 「また皆でパーっと飲みたいね」とびっくりするようなことを言い、胸ポケットからは大好きなタバコがのぞいていた。
 膵臓がんの治療は、主に手術と化学療法と放射線療法の組み合わせで行われる。
 手術は、発生部位や大きさによって方法が違ってくる。たとえほとんど全部を摘出したとしても、残された周囲の胃や小腸などをつなぎ合わせて、支障のないように再建できる。
 膵臓は、インスリンを分泌する重要な役割を持っているので、場合によっては定期的なインスリン注射をする必要があるが、少々の不自由はあっても日常生活はちゃんと送れる。
 がん治療後5年経過したら、再発の心配はないというのが通説ではある。
 しかし、Aさんを見ていると、そのような決め事などどうでもよい気がしてくる。
 ただAさんを見ているだけで、たくさんのことを教えられたと思っている。

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