医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

Production著作/論文

コラム「がんについて」コラム「がんについて」の連載。

3月29日 「がん」について 19
先のみえない“がん”

 ある医師と、講演のテーマについて話し合っていた時のことである。
 最近は、何でも「21世紀」が頭につくタイトルが多い、という話しになった。「21世紀に向けて」、あるいは「21世紀の日本」などというように。21世紀を迎えたばかりなのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、その医師が言うには、例えば「21世紀のがん戦略」といったテーマではとても話しができないのだという。
 がんの治療や検査について、百年先のことまで見通した上で、人前で講釈垂れるなどあまりに恐れ多いというわけだ。これは、ひとつに、がん研究を含めた医療の進歩が非常に早いということと、研究の結果がどうなるか予想がつかない、ということを意味している。今日はこれが最善、と思ってやっていることが、明日にはとんでもない無駄なことだったという事態はいくらでも予想できるからである。
 では、いつまでならそこそこ先を読めるのか、と問いただすと、「10年だって無理」とのこと。
 しかしそうはいっても、皆の関心が高いがんをテーマにして講演をするのに、「がん対策ー三年先を見通して」というものでは、何となくかっこがつかないだろう。「21世紀」と打ち出した方が、よほど聞きに来る人も集まる。次に何の病気で死ぬのがいいか、という話題に移った。
 多くの人は苦しむことなくぽっくり死にたいと願う。俗名「ぽっくり寺」なる寺社に、日々大勢押し寄せるのは、あの世に行く時は天寿をまっとうし、あっさりすんなり逝かさせてください、という思いを皆が持っているからだ。
 が、苦しみたくないのは分かるが、ここでも少し考えてみる必要がある。ぽっくり病という病気は存在しないが、一気に何かの発作を起こして、あっという間に亡くなってしまう状態を指すと考えた時、身内や愛する者らに別れを告げる暇もなく、本人も明日はこれこれこういうことをしよう、と楽しみにしていたことがあってもかなわなず、いったい人性の最後をそんな風に終えてしまっていいものだろうか、との考え方もある。がんであれば、おおよそあとどれくらい、といった寿命の目安を知ることができるから、自分なりのフィナーレを飾ろうと思えばできる。
 どうしてもこれだけは、と遣り残したことにも取り組めるかもしれない。痛みのコントロールさえできれば、がんで死ぬのだっていいではないかというのもひとつの考え方である。
 がんは、肉眼でわかるほどの大きさになるのに、10数年からそれ以上の月日を必要とする。一部例外を除いて、結構長期間にわたって成長発達を遂げているものだ。したがって、がんを告知されたとしても、それまで気づかなかっただけで、実際はもうかなり前から体の中に息づいていたことになる。
 残念ながら、人は死を選ぶことはできない。
 ただ言えるのは、死について考えることは、すなわち生きる姿勢を問うことである-。
 これだけは、どんなに研究が進み、がんが解明されたとしても、まず変わることのないひとつの真理といえるだろう。

【進行中の「がん研究」のテーマ】

  1. 発がんの分子機構に関する研究
  2. 転移・浸潤及びがん細胞の特性に関する研究
  3. がん体質と免疫に関する研究
  4. がん予防に関する研究
  5. 新しい診断技術の開発に関する研究
  6. 新しい治療法の啓発に関する研究
  7. がん患者の生活の質に関する研究

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